Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ル・シダネル展

2012年06月10日 | 美術
 先日、友人からメールがきた。「アンリ・ル・シダネル展」に行ってきたとのこと。すばらしかったそうだ。

 友人は若いころ(今から40年以上も前に)大原美術館を訪れて、ル・シダネル(1862~1939)の「夕暮れの小卓」に感動したそうだ。複製画を買ってきて、ボロボロになるまで部屋に貼っていたそうだ。その「夕暮れの小卓」をはじめ、ル・シダネルのまとまった展覧会が開かれているので、ぜひお勧めします、とのことだった。

 わたしも高校の修学旅行で大原美術館を訪れた。友人と同時期だろう。だがこの画家はまったく意識しなかった。その後も何度か訪れているが、記憶に残っていない。念のために手元のカタログを開いてみたら、たしかに載っていた。

 どういう絵かというと――、夕暮れ。運河に面した道端に、小さな丸いテーブルと2脚の椅子が置かれている。テーブルにはコーヒーカップが2客、ミルク入れと砂糖壺、2本のびんが載っている。でも、だれもいない。椅子は空っぽだ。奥にのびる運河に沿って家がある。窓から明かりがもれている。人の気配のぬくもりが感じられる。

 今回、この絵を観て、わたしも感動した。大原美術館で気付かなかったことが恥ずかしい。「不在」が重要なテーマだが、不在による寂しさはない。むしろ人々の語らいの声が画面全体にこだましているようだ。不在であるがゆえに人々の「存在」が感じられる絵だ。

 ひろしま美術館の所蔵品「離れ屋」もすばらしかった。この絵は――、夜。手前に大きなピンクのバラの茂みがある。月明かりに照らされている。奥にもバラがあるが、少し遠くなので色は薄い。突きあたりに離れ屋がある。窓から明かりがもれている。人の気配が温かい。彼方には木々のシルエットが見える。

 すべての物が色を失う「夜」なのに、このピンクのバラの華やぎといったら――。月明かりに照らされたこの世ならぬ美しさ。夜の「明るさ」。

 ル・シダネル作品を一言でいうなら、「逆説」になるのではないか。不在による「存在」の暗示とか、夜の「明るさ」とか。通常、逆説は知的なレトリックだが、ル・シダネルの場合は抒情の表現だ。アイロニーとは無縁の、肯定的な精神だ。穏やかで、だれをも攻撃しない心地よさがある。

 ル・シダネルの作品にどっぷり浸かっているうちに、あっという間に閉館時間の8時になった。
(2012.6.8.損保ジャパン東郷青児美術館)
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