Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/日本フィル

2012年07月15日 | 音楽
 日本フィルの定期は「日本フィル・シリーズ」(現在39曲)から4曲を選んだプログラム。大胆なプログラムだ。指揮は下野竜也さん。こういうプログラムにはこの人しかいない、という感じがする。

 1曲目は戸田邦雄(1915~2003)の「合奏協奏曲《シ・ファ・ド》」(日本フィル・シリーズ第19作、1968年)。はじめてその作品を聴く作曲家だ。全3楽章。第1楽章はヒンデミットのような感じ(「ウェーバーの主題による交響的変容」の第1楽章のようだ)。第3楽章は最後が決まらない感じ。

 2曲目は山本直純(1932~2002)の「和楽器と管弦楽のためのカプリチオ」(第10作、1963年)。テレビでブレークする前の時期だ。冒頭、箏の音が入って、日本的な情緒が広がる。するといきなり歌謡曲のようなメロディーが出てくる。これはもう笑うしかない。以下、ハチャメチャの大暴れだ。後半は「ウエストサイド物語」からの「シンフォニック・ダンス」のパロディのようだった。

 もし山本直純が生きていたら、この演奏を聴かせてあげたいと思った。日本フィルはこの曲を大切にしていますと伝えたら、どんなに喜んだことか。山本直純は日本フィルの争議のときに袂を分かったが、それから何年もたったころ、ある人が会ったら、「日本フィルはよくやっているよ」と述懐したそうだ(当時の楽員の話)。まだ生きていれば80歳。すべてを水に流すに十分な歳月だ。

 ロビーには自筆譜が展示されていた。定規で測ったように几帳面な書き方だ。「大きいことはいいことだ」のCMからは想像できない真面目な一面にふれた気がする。

 3曲目は黛敏郎(1929~1997)の「弦楽のためのエッセイ」(第9作、1963年)。出だしは雅楽のようだが、曲が進むにつれて、やっぱり20世紀の音楽だと思った。しかもそれは今では少し懐かしい20世紀の音楽だ。

 4曲目は松村禎三(1929~2007)の「交響曲第1番」(第14作、1965年)。存在の根源に向かって突き進むすさまじいエネルギーをもった曲だ。これほど真摯に自己を問い詰めた曲は他の作曲家には書けないと思う。求道的な精神の所産。黛敏郎の「涅槃交響曲」などごく少数の傑作の名に値する作品の一つだ。

 下野さんの指揮は、パワー、緻密さ、ともにすばらしく、胸がすくようだった。日本フィルのアンサンブルもいつもより一段上だった。
(2012.7.13.サントリーホール)
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