以前、ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスについて調べている際に、ブラジル在住の日系人のことを知った。現在約140万人がいるそうだ。サンパウロ市の中心部には日本人街もある。地球の向こう側の日系人社会の存在に想いをはせた。
映画「汚れた心」(けがれたこころ)はそのような日系人社会の秘話を描いている。時は1945年8月15日の敗戦直後。日本から捨てられ(いわゆる棄民だった)、情報が遮断されているなかで、日系人たちの多くは敗戦を信じられなかった。日本の勝利を信じる人々は「勝ち組」、敗戦を信じる人々は「負け組」といわれた(今の語義とは異なる――)。「勝ち組」は約8割、「負け組」は約2割だった。
そのとき「勝ち組」による「負け組」へのテロが起きた。日本は負けたのだと唱える「負け組」を殺傷した。その主な団体は「臣道聯盟」(しんどうれんめい)という国粋的な団体だった。その他の団体もあった。
この事件はその後、日系人社会のタブーになった。けれどもブラジルのジャーナリスト、フェルナンド・モライスが取材して、2001年に「汚れた心」を公刊した。これはベストセラーになった。映画「汚れた心」はそれに触発されたフィクションだ。
テロはもちろん許されない。この映画でもけっして美化されてはいない。けれども糾弾すればそれでよいのか。それだけでは済まない事情があった。では、なにもかも戦争が悪いといえばよいのか。そこまで一般化してもまずいだろう。日本から棄てられた日系人社会で起きたこと、その重みを沈思することから始めるしかない、という気がした。
キャストは、写真館を営む平凡な男に井原剛志。やがてテロに走るこの男の苦悩を、寡黙な演技で表現した。わたしはものがいえなくなった。その妻に常盤貴子。これまたほとんど台詞のない寡黙な役柄だ。テロに走る夫を見つめる悲しみの眼差し。テロを教唆する退役軍人に奥田瑛二。「悪」ではあるが、「悪」として断罪すれば済むのかと、わたしに問いかけた。
監督はブラジル人のヴィセンテ・アモリン。ナチス台頭期のドイツ社会を描いた「善き人」の監督だ。あの映画はついに見逃した。見ておけばよかった。
登場人物すべての内面に渦巻く苦悩を表現するかのように、ヴァイオリンが激しい音楽を奏でていた。だれが弾いているのかと思ったら、宮本笑里さんだった。アイドル路線で行っている人だと思っていた。それだけではないようだ。
(2012.7.23.ユーロスペース)
映画「汚れた心」(けがれたこころ)はそのような日系人社会の秘話を描いている。時は1945年8月15日の敗戦直後。日本から捨てられ(いわゆる棄民だった)、情報が遮断されているなかで、日系人たちの多くは敗戦を信じられなかった。日本の勝利を信じる人々は「勝ち組」、敗戦を信じる人々は「負け組」といわれた(今の語義とは異なる――)。「勝ち組」は約8割、「負け組」は約2割だった。
そのとき「勝ち組」による「負け組」へのテロが起きた。日本は負けたのだと唱える「負け組」を殺傷した。その主な団体は「臣道聯盟」(しんどうれんめい)という国粋的な団体だった。その他の団体もあった。
この事件はその後、日系人社会のタブーになった。けれどもブラジルのジャーナリスト、フェルナンド・モライスが取材して、2001年に「汚れた心」を公刊した。これはベストセラーになった。映画「汚れた心」はそれに触発されたフィクションだ。
テロはもちろん許されない。この映画でもけっして美化されてはいない。けれども糾弾すればそれでよいのか。それだけでは済まない事情があった。では、なにもかも戦争が悪いといえばよいのか。そこまで一般化してもまずいだろう。日本から棄てられた日系人社会で起きたこと、その重みを沈思することから始めるしかない、という気がした。
キャストは、写真館を営む平凡な男に井原剛志。やがてテロに走るこの男の苦悩を、寡黙な演技で表現した。わたしはものがいえなくなった。その妻に常盤貴子。これまたほとんど台詞のない寡黙な役柄だ。テロに走る夫を見つめる悲しみの眼差し。テロを教唆する退役軍人に奥田瑛二。「悪」ではあるが、「悪」として断罪すれば済むのかと、わたしに問いかけた。
監督はブラジル人のヴィセンテ・アモリン。ナチス台頭期のドイツ社会を描いた「善き人」の監督だ。あの映画はついに見逃した。見ておけばよかった。
登場人物すべての内面に渦巻く苦悩を表現するかのように、ヴァイオリンが激しい音楽を奏でていた。だれが弾いているのかと思ったら、宮本笑里さんだった。アイドル路線で行っている人だと思っていた。それだけではないようだ。
(2012.7.23.ユーロスペース)