都響定期に初登場の予定だった大植英次さんが、頸椎症を起こしてキャンセルし、小泉和裕さんが代演した。頸椎症は指揮者の職業病のようなものらしい。やむを得ない。医師の診断では安静1週間だそうだ。1週間たてばケロッと治ってしまう(?)のだから、無念のキャンセルだったろう。
頸椎症が起きたのはリハーサル初日の後だそうだ。定期の前のリハーサルは3日間なので、残りは2日間。大植さんもそうだが、オーケストラも焦っただろう。幸い小泉さんのスケジュールが空いていた――か、どうかはわからないが、なんとかスケジュール調整をすることができた。急な代演には最適な人を確保できたものだ。
小泉さんが2日間をまるまる使えたかどうかはわからない。使えたとしても2日間、そしてゲネプロ。曲目の一部を変更した。シュトラウスの「ばらの騎士」組曲をベートーヴェンの「エグモント」序曲とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲」と「愛の死」に変更。これはなぜだろう。ちょっと興味がある。
「エグモント」序曲は、ずっしりとした序奏、気宇壮大な主部、ともにすばらしかった。けれどもコーダに入ると、音に響きが乗りきらなくなった。歓喜の爆発が上滑りしているように聴こえた。リハーサルがもう1日あったら――、と惜しまれた。
「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」も、出だしの音作りは入念だったが、感情のたかまりとともに音の響きが不足していった。「愛の死」も同様だった。
上記2曲とも小泉さんの設計は明確だった。いずれも暗譜で指揮。自信の曲目なのだろう。
最後は、大植さんのプログラムをそのまま引き継いで、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。この曲では響きが不足することもなく、安心して聴くことができた。どこをとっても入念に準備されていた。小泉さんはこの曲も暗譜。たいしたものだ。都響も小泉さんの音楽づくりがよくわかった演奏だった。
まずは無事終了。よかったですね、――というところだが、率直にいうと、新たな個性との出会いを期待した演奏会だったので、その意味では残念だった。大植さんとの出会いでなにが起きるかは、宿題となった。大植さんは来年1月3日に都響を振る予定だ。都響の主催公演ではなく、東京文化会館の「響きの森」の一環。曲目未定。ニューイヤー・コンサート風になるのかもしれない。聴いてみたくなった。
(2012.7.19.サントリーホール)
頸椎症が起きたのはリハーサル初日の後だそうだ。定期の前のリハーサルは3日間なので、残りは2日間。大植さんもそうだが、オーケストラも焦っただろう。幸い小泉さんのスケジュールが空いていた――か、どうかはわからないが、なんとかスケジュール調整をすることができた。急な代演には最適な人を確保できたものだ。
小泉さんが2日間をまるまる使えたかどうかはわからない。使えたとしても2日間、そしてゲネプロ。曲目の一部を変更した。シュトラウスの「ばらの騎士」組曲をベートーヴェンの「エグモント」序曲とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲」と「愛の死」に変更。これはなぜだろう。ちょっと興味がある。
「エグモント」序曲は、ずっしりとした序奏、気宇壮大な主部、ともにすばらしかった。けれどもコーダに入ると、音に響きが乗りきらなくなった。歓喜の爆発が上滑りしているように聴こえた。リハーサルがもう1日あったら――、と惜しまれた。
「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」も、出だしの音作りは入念だったが、感情のたかまりとともに音の響きが不足していった。「愛の死」も同様だった。
上記2曲とも小泉さんの設計は明確だった。いずれも暗譜で指揮。自信の曲目なのだろう。
最後は、大植さんのプログラムをそのまま引き継いで、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。この曲では響きが不足することもなく、安心して聴くことができた。どこをとっても入念に準備されていた。小泉さんはこの曲も暗譜。たいしたものだ。都響も小泉さんの音楽づくりがよくわかった演奏だった。
まずは無事終了。よかったですね、――というところだが、率直にいうと、新たな個性との出会いを期待した演奏会だったので、その意味では残念だった。大植さんとの出会いでなにが起きるかは、宿題となった。大植さんは来年1月3日に都響を振る予定だ。都響の主催公演ではなく、東京文化会館の「響きの森」の一環。曲目未定。ニューイヤー・コンサート風になるのかもしれない。聴いてみたくなった。
(2012.7.19.サントリーホール)