Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ベルリン:アトランティスの皇帝

2013年02月12日 | 音楽
 ベルリンではまずヴィクトル・ウルマン(1898-1944)の「アトランティスの皇帝」を観た。テレジン(ドイツ語名:テレージエンシュタット)の強制収容所で書かれたオペラ。よくこのオペラが後世に残ったものだ。ウルマンは1943年にこのオペラを書き、1944年3月にはリハーサルまで行った。しかし上演は許されなかった。当局が、このオペラの主人公「皇帝」はヒトラーを戯画化したものだと気付いたため、と推測されている。ウルマンは同年10月にアウシュヴィッツに移送された。到着直後に殺されたと推測されている。

 ウルマンはこのオペラの譜面を収容所仲間に託した。その人は生き残った。こうしてこのオペラは後世に残った。

 何人かの手を経て、1975年にアムステルダムで初演された。その後、ヨーロッパ各地で上演された。楽譜の校訂も進んだ。今回はベルリン国立歌劇場(リンデン・オーパー)の制作。本年1月26日に初演された。場所はシラー劇場のヴェルクシュテッテ(工房)。

 仮設の舞台と仮設の客席。舞台といっても、木製のやぐらが組まれているだけ。客席は100人分くらい。自由席。オーケストラピットなどないから、オーケストラ(10人くらいの編成)は照明器具の隙間に、窮屈そうに座っている。このようにすべて仮設だ。それがテレジンの状況を想像させた。もしテレジンで上演されていたら、このような環境だったのではないか――と。

 「皇帝」は最後に死を受け容れる。そのときの穏やかな音楽が胸にしみた。そうあってほしい、というウルマンの願いが感じられた。横に座っていたドイツ人の男性は目がしらを押さえていた。

 だが、この演出では、死んだはずの「皇帝」が生き返り、不敵な笑いを浮かべて、もとの椅子(=権力の座)に戻った。ウルマンの願いは叶えられなかった。事実、1944年当時、ヒトラーは健在で、死に至ったのはウルマンのほうだった。その苛酷な現実が暗示されていたのではないかと思う。

 もう一つ、ぜひとも触れておきたい場面は、戦場で男兵士と女兵士が出会う場面だ。お互いに殺し合うことができず、そこに愛が芽生え、肩を抱き合って戦場を去る。その音楽も美しかった。そこにもウルマンの願いが感じられた。

 歌手は若い人たち。みな渾身の歌と演技だった。指揮はフェリックス・クリーガー、演出はマシャ・ペルツゲン、という人。
(2013.2.2.シラー劇場ヴェルクシュテッテ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする