Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/読響

2013年02月19日 | 音楽
 下野竜也さんの読響正指揮者としての最後の定期。4月からは首席客演指揮者に肩書きが変わり、読響への登場は今の約半分になるそうだ。

 下野さんにはお世話になった。正指揮者としての6年余り、読響のプログラムの多彩さを一身に担ってきた。ゲテモノ担当とか、珍曲ハンターとかの称号(?)が与えられたそうだが(ゲテモノ担当は下野さんご自身のトークから飛び出した)、我々はその恩恵に浴したわけだ。

 もっともわたしにはゲテモノ担当とかの感覚はなかった。意欲のある――そして能力のある――若手指揮者なら、レアな曲を引っ張り出すのは当たり前で、下野さんもその一人だと思っていた。その意味ではまっとうな青春時代を過ごしていると思っていた。それを楽しませてもらった。

 下野さんは1969年生まれ。40代の半ばにさしかかった今、“青春時代”を卒業するのも賢明だ。で、これからどうするのか。下野さんはプログラムに掲載されたインタビューのなかで「このところ国内での活動が主だったので、海外での演奏の場を増やしていこうと思います」と語っている。賛成だ。あまり遅くならないうちに、海外での拠点をもったほうがいいと思う。下野さんが、いつの日か、たとえばカンブルラン並みの指揮者に大成することを期待したい。

 今回の定期はブルックナーの交響曲第5番だった。いつもながら、句読点のはっきりした、曖昧なところのない演奏だった。先の先まで見通しのきいた演奏だ。こういう演奏で聴くと、この大曲が、実はひじょうに明確な――シンプルといってもいいくらいの――構造をもった曲であることが、よくわかった。

 なるほど、これは第5番なのだ、と思った――なんだかヘンな言い方だが――。つまり第7番以降とは少し異なる作品だ。あの宇宙的な世界に飛躍する前の、しかしその予感をはらんだ作品だ。そこを混同してはいけない。この作品を第7番以降と同じものにしてはいけない。それはこの作品を肥大化することだ。そういう意味での、この作品の等身大の姿を教えてもらった気がする。

 終演後、大きな拍手とブラボーが湧き起こった。オーケストラが引き下がった後も拍手が続き、下野さんが再登場した。鳴りやまない拍手とブラボー。深々と頭を下げる下野さん。頭を起こさない。泣いているようだった。下野さんと聴衆との熱い交流。下野さんはこの日を忘れないだろう。聴衆も同じだ。
(2013.2.18.サントリーホール)
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