Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

佐渡裕/シティ・フィル

2013年02月18日 | 音楽
 佐渡裕が客演した東京シティ・フィルの定期は完売だった。佐渡人気のゆえだろう。聴衆としても嬉しいことだ。

 佐渡さんの“本音”の音楽と、プロ・オーケストラのなかでは珍しいくらい熱い演奏をするシティ・フィルとは、相性がいいのではないかと思った。結果はそのとおりだった。予想以上といってもいいくらいだ。

 1曲目はハイドンの交響曲第44番「悲しみ」。ハイドン中期(という言葉があるかどうか、ともかく、一連のパリ交響曲が書かれる以前の時期)の作品としては比較的よく演奏される曲だが、この日のような演奏には出会ったことがない。今まで聴いた演奏はコンサートの前菜としてのあっさりしたものだったが、この日の演奏は全力投球、この曲のあらゆる要素を克明に描き出すものだった。

 佐渡さんと同フィルは、この日に先立って、同じプログラムで東北と関西のツァーを行ったので、そのなかで練られたものが表出された観があった。

 2曲目はモーツァルトのフルート協奏曲第1番。フルート独奏はペーター=ルーカス・グラーフ。懐かしい名前だなと思ったら、今84歳だそうだ。足を少し引きずっているが、かくしゃくたるものだ。年齢からくるのか、淡々とした演奏だったが、背筋を伸ばしたその演奏姿には高貴なものがあり、一夜明けた今でも目に焼き付いている。

 アンコールにドビュッシーの「シランクス」が演奏された。なるほど、プレトークで佐渡さんが、高校生のころ、ペーター=ルーカス・グラーフの楽屋に押し掛けて、この曲を聴いてもらった(当時佐渡さんはフルートをやっていた)というエピソードを話していたが、あれはアンコールの伏線だったのか。

 最後はベートーヴェンの交響曲第7番。佐渡さんとシティ・フィルとの組み合わせから想像できるように、熱い、熱い演奏だった。それは想像どおりなのだが、想像を超えた演奏が第4楽章で展開された。驚天動地の演奏、といったらいいか、目の前で起きていることがあまりにも破格なので、その意味がつかめない、という感じがした。今まで聴いた演奏のなかで、この演奏に匹敵するのは、ベルリンの壁が崩壊したときに、バレンボイムがベルリン・フィルを振って演奏したこの曲のこの楽章だけだ(ライヴCDが出ている。)。

 アンコールにモーツァルトのディヴェルティメントK.136の第1楽章が演奏された。甘く柔らかい音だった。
(2013.2.16.東京オペラシティ)
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