Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ベルリン:ピーター・グライムズ

2013年02月16日 | 音楽
 最終日はブリテンの「ピーター・グライムズ」を観た。2009年にイングリッシュ・ナショナル・オペラで初演されたプロダクション。来年は当ベルリン・ドイツ・オペラ、イングリッシュ・ナショナル・オペラ、ボリショイ劇場で「ビリー・バッド」を共同制作するそうだ。

 演出はデイヴィッド・オールデン。新国立劇場でウィリー・デッカーの演出を観たが(あれはモネ劇場のプロダクションだ)、それとは正反対の演出だった。ウィリー・デッカーの場合は、余分なものを削ぎ落とし、本質のみを語る演出だった。一方、オールデンの演出は、猥雑なものを取り込み、ストーリーテラーとしての能力を前面に出した演出だ。

 登場人物の造形が面白い。退役船長のバルストロードは片腕の人物になっている。酒場の女将アーンティは足をひきずっている。姪の二人(売春婦だろう)はいつも人形を抱えている。その人形が二人にそっくりなので笑える。要するに、みんなどこかいかがわしい。そういうなかでピーター・グライムズと女教師オーフォードだけがまともに見える。

 そして、常にだれかが、なにかをやっている。それが音楽に合っているのだ。

 たとえば第2幕の幕切れ。ピーター・グライムズが少年をせき立てると、少年は崖から落ちてしまう。そこに村人が大挙して押しかける。しかしピーター・グライムズの小屋は空っぽなので帰って行く。音楽は静かになって幕が下りる――と思いきや、静かになったそのときに、ピーター・グライムズが少年を抱えて現れる。少年は頭から血を流している。放心したようなピーター・グライムズ。それをバルストロードが盗み見ている。バルストロードは次の幕でピーター・グライムズに引導を渡すわけだが、このときそれを決意したのではないか――と思わせた。

 総体的に、感銘の深さという点では、ウィリー・デッカーのほうに軍配が上がる。だが、観ていて面白いのはオールデンのほうだった。

 指揮はドナルド・ラニクルズ。昔ウィーンで「ビリー・バッド」を観たことがある。あのときと比べると、重い音はそのままに、柔らかい音、繊細な音が加わり、音色が多彩になった。見違えるようだった。

 ピーター・グライムズはクリストファー・ヴェントリス。パワーに加えて繊細さも併せ持っていた。オーフォードはミカエラ・カウネ。昔は娘役が多かったが、いつの間にか老け役もよくなった。
(2013.2.5.ベルリン・ドイツ・オペラ)
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