Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

デプリーストの逝去

2013年02月21日 | 音楽
 都響の常任指揮者をつとめたジェイムズ・デプリーストが亡くなった。2月8日、心臓発作だった。享年76歳。

 新聞各紙で報道されたが、その扱いは必ずしも大きくはなかった。仕方がない。クラシック音楽の演奏家はそんなものだろう。都響のホームページを見たが、比較的簡単な告知が出ているだけだった。少し残念だった。でも、まあそんなものか、と思った。

 ところが、今日、都響のホームページを見たら、追悼の動画が載っていた。心のこもった動画だ。2月15日に公開されていた。没後一週間、なるほど、こういう動画を作っていたのかと思った。YouTubeでの配信なので、海外からの視聴を想定しているのだろう、英語の追悼文が流れていた。

http://www.youtube.com/watch?v=kuOmbnjc9oI

 デプリーストはガリー・ベルティーニの後任として、2005年のシーズンから都響の常任指揮者になった。巨匠といわれていたベルティーニだが、わたしには疑問があった。なによりもまず音の濁りが気になった。その後任のデプリーストになったら、この点が解消された。好ましい変化だった。

 デプリーストはフィラデルフィアで生まれた。フィラデルフィア管弦楽団を聴いて育った。1936年生まれだから、同団の黄金時代を聴いて育ったわけだ。デプリーストは、フィラデルフィア管弦楽団の音を理想とすると公言していた。気のせいか――そうではないと思うが――、デプリーストが振ると、都響の音が明るく、温かくなり、フィラデルフィア管弦楽団の音に近づいた。

 デプリーストの任期は長くはなかった。2008年に退任した。不完全燃焼ではないかと、傍目には見えた。事情はわからないが、ともかく、まだ十分な成果をあげたとはいえない時期の、中途半端な退任だった。

 後任はインバルだった。聴衆は歓呼の声で迎えた。わたしもその一人だった。当時のインバルはよかった。インバル人気の陰で、デプリーストは急速に忘れられていくような気がした。だが、ほんとうにそうだったのか。わたしのなかにその記憶が残っているように、多くの人々にも温かい記憶が残っていた――と、今はそう思う。

 デプリーストの訃報に接して、何枚かのCDを聴いてみた。でも、どれを聴いても、記憶にある音ではなかった。あの明るい、温かな、明晰な音ではなかった。もっと普通の音だった。デプリーストの音は記憶のなかにしか残っていない。そんなものだろう。それでいいのだろう。
コメント
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