Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ベルリン:ペール・ギュント

2013年02月15日 | 音楽
 4日目、この日はオペラやコンサートの選択肢もあったが、どうしてもバレエ「ペール・ギュント」を観たかった。イプセンの原作をどのようにバレエにしているか、興味をひかれたからだ。原作は、戯曲のかたちをとっているが、劇詩と銘打たれている。必ずしも演劇として上演されることを意図してはいない。むしろ想像力のなかで生きることを目指している。そういう作品はバレエに相応しいのではないかと思った。

 この推測は、半ばは当たり、半ばは外れた。まず当たった点は、想像どおり、話の展開が不自然ではないこと。北欧の想像上の生物(妖精)トロルが出てきたり、死に神が出てきたりしても、少しもおかしくない。バレエという器は、なんのこだわりもなく、それらを許す自由さがある。

 一方、外れた点は、一癖も二癖もある登場人物たちが、バレエになると、品のいい、毒を抜かれた存在になってしまうことだ。そのもっとも典型的な例はペール・ギュントの母オーゼだ。イプセンの原作では強烈な印象を与える登場人物だが、バレエになると、上品で賢明な母、というキャラクターになる。

 土台、イプセンの灰汁の強い――そして晦渋な――世界をバレエに求めるのは無理かもしれない。むしろこの物語を美しく描いてくれたことでよしとすべきなのだろう。

 たしかに美しい舞台だった。とくにモロッコの場面(例の「朝」が演奏される場面)は、舞台一面に茶色い砂を敷きつめて、美しい砂浜を現出していた。

 前日にはヴラジーミル・マラーホフがペール・ギュントを踊ったが、当夜は別のダンサーだった。これはぜひともマラーホフで観たかった――と後悔した。マラーホフくらいの強い個性がないと、ペール・ギュントは無理だ。

 振付はハインツ・シュペルリ。この物語を要領よくまとめていたが、一つだけひっかかった点がある。年老いたペール・ギュントが故郷を目指して航海する場面を、映像であっさり処理してしまったことだ。グリーグの音楽も他の場面に転用されていた。

 音楽は、基本的にグリーグの音楽を使っていたが、それだけではつながらないので、ブレット・ディーンとマーク=アンソニー・タネジの音楽を補足的に使っていた。ともに物語が幻想性を帯びる場面で使われていて効果的だった。

 指揮はRobert Reimer。バレエ伴奏の範疇を超えて、音楽として聴いても面白い演奏だった。
(2013.2.4.ベルリン・ドイツ・オペラ)
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