Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マルク・アルブレヒト/都響

2014年05月28日 | 音楽
 3月から続いているコルンゴルトのミニ・フェスティヴァル――と、わたしは思って聴いてきた――の最終回、マルク・アルブレヒト指揮都響の定期。

 1曲目はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番。コルンゴルトとメンデルスゾーンの組み合わせはたしかに相性がいい。ともに早熟のユダヤ人作曲家。どこか楽天的な音楽性も共通している。

 この曲は1831年の作曲。メンデルスゾーン(1809‐47)22歳の年だ。木幡一誠氏のプログラム・ノートによれば、当時メンデルスゾーンにはデルフィーネ・フォン・シャウロート(1813‐87)というミューズがいたそうだ。なるほど、第2楽章の、いつになく濃密な感情の高まりは、そのせいかと思った。

 サリーム・アブード・アシュカール(1976年イスラエル生まれ)のピアノ独奏もオーケストラも、最新式のデジタル的な音ではなく、ちょっと懐かしいアナログ的な音に聴こえた。曲のせいというよりも、演奏にその要因があると思った。アンコールのシューマン「トロイメライ」を聴いたときも、同じ音が聴こえたので、そう確信した。

 2曲目はいよいよコルンゴルトの「交響曲」。1曲目と同じく、歯切れのいい、かつ彫りの深い演奏で、しかもこの曲に本来備わっているスケール感を十全に表現した演奏だ。オーケストラを率いる力量には非凡なものがある。2011/12のシーズンからネーデルランド・オペラの首席指揮者を務めているそうだが、そのクラスの指揮者はさすがに凄い。

 プログラム・ノートにも書いてあるが、第1楽章はオペラのオーケストラ・パートのような音楽だ。ドラマが渦巻く音楽。それがよくわかる演奏だった。一転して第2楽章は高度に器楽的な音楽。演奏至難なその音楽をものともせず、オーケストラが一丸となって突進し、指揮者がそれをしっかり受け止める。スリリングな演奏だった。

 第3楽章は挽歌のように聴こえた。亡きフランクリン・ルーズベルト大統領の追悼のための音楽だが、そういう公人のための音楽というより、もっと個人的な哀惜の音楽のように聴こえた。では、なんの哀惜か。

 振り返って考えると、第1楽章は第2次世界大戦の残像なのかもしれない。コルンゴルトの人生を台無しにしたナチズムの残像。第3楽章はそんな人生にたいする挽歌なのかもしれない。それを第4楽章で明るく締めくくるのが、またコルンゴルトらしい。
(2014.5.27.サントリーホール)
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