Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2015年04月09日 | 音楽
 大野和士の都響音楽監督就任定期の第2弾。曲目はマーラーの交響曲第7番。今回もプレトークがあった。大野和士の話は面白いという評判があるが、たしかに面白い。その面白さは、立て板に水といった話術の巧みさではなく、その音楽観にあることがよく分かった。

 前回のシュニトケ、ベートーヴェン、そして今回のマーラー、それぞれの曲に大野和士はじつに生き生きとしたドラマを見出している。マーラーのこの交響曲第7番では、たとえば第2楽章「夜曲」の冒頭テーマを――レンブラントの「夜警」をマーラーが見たというエピソードを交えながら――夜警が銃を構えて、ビクビクしながら前傾姿勢であたりを窺っている様子に例えていた。後ろで物音がしたので、ギョッとして振り向く、その様子を大野和士がユーモアたっぷりに演じた。

 大野和士は音楽を具体的なドラマとして理解しているようだ。オペラの細かい動作の連続のように理解している。そういうディテールにこそリアリティがある、ディテールを大事にして初めて‘真実’が浮かび上がってくる――と。

 演奏もこの楽章が一番面白かった。思いがけないドラマの連続だった。細かな起伏があった。今まで聴いてきた第2楽章の演奏は、少し平板だったかもしれないと、そんな気がした。第2楽章が終了したとき、近くの席でそっと拍手をする人がいた。わたしも同感だ。

 第4楽章(これも「夜曲」だ)も面白かった。でも、この楽章にはギターやマンドリンが入るので、今までの演奏でも平板と感じることはなかった。その意味では第2楽章ほどの驚きはなかった。

 とかく物議を醸しがちな第5楽章は、納得の演奏だった。先行楽章との違和感があまりなかった。小宮正安氏のプログラムノートの言葉を借りれば、‘カーニバル’の夜、あるいは夜の‘遊園地’として先行楽章とつながっていた。大野和士の素直な音楽性と均整のとれた造形のゆえだ。

 最後は大いに盛り上がった。夜空を照らす無数の花火のようだった。じつは演奏会の前には、この曲は音楽監督就任を祝う定期に相応しいだろうかと、一抹の懸念があったが、わたしの認識不足だった。この曲は十分に祝祭的だった。

 盛大な拍手が起きた。やがて客席が明るくなり、楽員が引き上げた。拍手も終わりそうな気配だった。でも、また盛り返した。大野和士が再登場してブラボーの声を浴びた。
(2015.4.8.東京文化会館)
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