インキネンの日本フィル首席指揮者就任の発表には、自分でも意外なくらい新鮮な喜びを覚えた。ラザレフだってまだまだ鮮度がいいが、でも、絶妙なタイミングだ。インキネンは今まで首席客演指揮者として成果を上げてきたが、首席指揮者となると、さらに一段高い成果を期待できるのではないか。そんな歓迎ムードが、わたしを含めた日本フィルの聴衆に広がっているような気がする。
インキネンは今後、ブラームス、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーといったドイツ音楽に取り組んでいくという。これも大歓迎だ。というのも、2013年9月の東京定期での「ジークフリート牧歌」と「ワルキューレ」第1幕の名演の記憶があるからだ。ジークムントを歌ったサイモン・オニールの名唱もあったが、オーケストラだけの「ジークフリート牧歌」でも、途中から‘うねり’のようなものが生まれ、この曲のイメージを一新した。
あのとき、インキネンのドイツ音楽指揮者としての潜在能力を垣間見る思いがした。驚くべき能力。北欧のイメージで画一的に捉えることはできないと思った。
思えば、日本フィルの歴代の指揮者には、ドイツ音楽で本領を発揮する指揮者がいなかった。そんな中でのインキネンの就任は、渡邉暁雄以来のシベリウス演奏の伝統の継承はもちろんのこと、ドイツ音楽の演奏という新たな局面の展開を期待させる。
その予告ともいうべき今回の定期は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番とブルックナーの交響曲第7番という重量級のプログラムだった。結論を先にいうと、ずっしりと重い音は、今までの日本フィルからはあまり聴いたことがない音だ。しかも清新な空気感があった。重量級のプログラムだが、まったくストレスを感じなかった。
個別のパートでは、第1ヴァイオリンが入ってくるときの音の美しさに、ハッとすることが何度かあった。すがすがしい音色。インキネンのドイツ音楽の音か。今回ゲスト・コンサートマスターに入ったヴェサ=マッティ・レッペネンの効果もあったろう。
今回すでにドイツ音楽での‘個性’が感じられた。でも、前述のワーグナーを思い起こすと、まだ先があるはずだ。楽しみにしたい。
なお、ブラームスでのピアノ独奏は、アンジェラ・ヒューイットだった。ピアノはファツィオリ。スタインウェイとはまったく違う、柔らかくて、丸みを帯びた音だ。興味津々だった。
(2015.4.25.サントリーホール)
インキネンは今後、ブラームス、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーといったドイツ音楽に取り組んでいくという。これも大歓迎だ。というのも、2013年9月の東京定期での「ジークフリート牧歌」と「ワルキューレ」第1幕の名演の記憶があるからだ。ジークムントを歌ったサイモン・オニールの名唱もあったが、オーケストラだけの「ジークフリート牧歌」でも、途中から‘うねり’のようなものが生まれ、この曲のイメージを一新した。
あのとき、インキネンのドイツ音楽指揮者としての潜在能力を垣間見る思いがした。驚くべき能力。北欧のイメージで画一的に捉えることはできないと思った。
思えば、日本フィルの歴代の指揮者には、ドイツ音楽で本領を発揮する指揮者がいなかった。そんな中でのインキネンの就任は、渡邉暁雄以来のシベリウス演奏の伝統の継承はもちろんのこと、ドイツ音楽の演奏という新たな局面の展開を期待させる。
その予告ともいうべき今回の定期は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番とブルックナーの交響曲第7番という重量級のプログラムだった。結論を先にいうと、ずっしりと重い音は、今までの日本フィルからはあまり聴いたことがない音だ。しかも清新な空気感があった。重量級のプログラムだが、まったくストレスを感じなかった。
個別のパートでは、第1ヴァイオリンが入ってくるときの音の美しさに、ハッとすることが何度かあった。すがすがしい音色。インキネンのドイツ音楽の音か。今回ゲスト・コンサートマスターに入ったヴェサ=マッティ・レッペネンの効果もあったろう。
今回すでにドイツ音楽での‘個性’が感じられた。でも、前述のワーグナーを思い起こすと、まだ先があるはずだ。楽しみにしたい。
なお、ブラームスでのピアノ独奏は、アンジェラ・ヒューイットだった。ピアノはファツィオリ。スタインウェイとはまったく違う、柔らかくて、丸みを帯びた音だ。興味津々だった。
(2015.4.25.サントリーホール)