大野和士/都響のアグレッシヴなプログラミングに熱いエールを送ったばかりだが、カンブルラン/読響も相変わらず尖っている。
1曲目はリーム(1952‐)の「厳粛な歌‐歌曲付き」。歌曲付きという添え書きは奇妙な感じがするが、楽譜出版元のホームページを見ると、歌曲部分を付けて演奏することも可能だし、オーケストラ部分だけを演奏することも可能な曲とのこと。
オーケストラ編成は、ヴァイオリン、フルート、オーボエ、トランペットの高音楽器を欠く特殊編成。チューニングはイングリッシュホルンとヴィオラの首席によって行われた。珍しい光景だ。
そういう特殊編成のオーケストラ部分は、低く蠢くような音型が延々と続いた。クラリネットやイングリッシュホルンに旋律のようなものが出るが、あまり印象に残らない。色を失った音楽。灰色の音楽。正直いって、あまり面白くなかった。
だが、最後のほうになって、バリトン独唱(独唱者は小森輝彦)が入ると、途端に色が出た。前述の蠢くような音型にバリトンの声が――蔦が絡まるように――浮遊するような曲線を付ける。俄然面白くなった。でも、歌曲部分はそれほど長くはなかった。また元のオーケストラ部分が戻ってすぐに終わった。ともかく、演奏が歌曲付きでよかった。オーケストラ部分だけだったら、なにがなんだか分からなかったろう。
2曲目はブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)。音が明るい。透明な叙情の世界。カンブルランのブルックナーはこうなのか――。これもブルックナーだ。ブルックナーの本質に触れている。それが発見だった。
第1楽章コーダに猛烈なアッチェルランドが付いていた。正直、度肝を抜かれた。そういえば、提示部の第2主題の高まりの、ピークの直前にもアッチェルランドが付いていた。あのときは、なにが起きたのか分からなかった。
第2楽章の第2主題が大きな弧を描いて演奏された。ハッとしたほどだ。歌い方の大きさもあるが、リズムに弾みがあったから、そう感じたのだ。しなやかなリズムの弾み。それはカンブルランの指揮姿に重なっていた。
第3楽章を結節点として、第4楽章は鳴りに鳴った。豪快な響き。巨大なブロックが見渡す限りいくつも並んでいるインスタレーションのような演奏だ。デジタル思考のブルックナー。ブルックナーにはそういう一面もある。これも発見だった。
(2015.4.10、サントリーホール)
1曲目はリーム(1952‐)の「厳粛な歌‐歌曲付き」。歌曲付きという添え書きは奇妙な感じがするが、楽譜出版元のホームページを見ると、歌曲部分を付けて演奏することも可能だし、オーケストラ部分だけを演奏することも可能な曲とのこと。
オーケストラ編成は、ヴァイオリン、フルート、オーボエ、トランペットの高音楽器を欠く特殊編成。チューニングはイングリッシュホルンとヴィオラの首席によって行われた。珍しい光景だ。
そういう特殊編成のオーケストラ部分は、低く蠢くような音型が延々と続いた。クラリネットやイングリッシュホルンに旋律のようなものが出るが、あまり印象に残らない。色を失った音楽。灰色の音楽。正直いって、あまり面白くなかった。
だが、最後のほうになって、バリトン独唱(独唱者は小森輝彦)が入ると、途端に色が出た。前述の蠢くような音型にバリトンの声が――蔦が絡まるように――浮遊するような曲線を付ける。俄然面白くなった。でも、歌曲部分はそれほど長くはなかった。また元のオーケストラ部分が戻ってすぐに終わった。ともかく、演奏が歌曲付きでよかった。オーケストラ部分だけだったら、なにがなんだか分からなかったろう。
2曲目はブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)。音が明るい。透明な叙情の世界。カンブルランのブルックナーはこうなのか――。これもブルックナーだ。ブルックナーの本質に触れている。それが発見だった。
第1楽章コーダに猛烈なアッチェルランドが付いていた。正直、度肝を抜かれた。そういえば、提示部の第2主題の高まりの、ピークの直前にもアッチェルランドが付いていた。あのときは、なにが起きたのか分からなかった。
第2楽章の第2主題が大きな弧を描いて演奏された。ハッとしたほどだ。歌い方の大きさもあるが、リズムに弾みがあったから、そう感じたのだ。しなやかなリズムの弾み。それはカンブルランの指揮姿に重なっていた。
第3楽章を結節点として、第4楽章は鳴りに鳴った。豪快な響き。巨大なブロックが見渡す限りいくつも並んでいるインスタレーションのような演奏だ。デジタル思考のブルックナー。ブルックナーにはそういう一面もある。これも発見だった。
(2015.4.10、サントリーホール)