Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ウィンズロウ・ボーイ

2015年04月22日 | 演劇
 新国立劇場の演劇公演「ウィンズロウ・ボーイ」。作者はイギリスの劇作家テレンス・ラティガン(1911‐1977)。プロフィールによると「英国で最も愛される劇作家のひとり」だそうだ。

 「ウィンズロウ・ボーイ」は1946年の作品。時は第一次世界大戦前夜。所はロンドン。上流階級のウィンズロウ家の次男ロニーが、海軍士官学校を退学になる。学友の郵便為替5シリング(つまり小銭だ)を盗んだ廉だ。だが、ロニーは「やってない」という。父のアーサーは無実を訴える。ついには国家を揺るがす大騒動になる。

 これは実話だそうだ。1908年に起きた。作者はそれを第一次世界大戦前夜に置き換えた。国家の一大事を前にして、たかが子どもの5シリングの盗みで――と眉をひそめる世論と、子どもの‘しかるべき権利’を守れない国家なんて――と無実を訴える父。父には大変なプレッシャーがかかる。

 こういう筋立ての芝居が、第二次世界大戦の勝利に沸く1946年のロンドンで上演されたこと自体が興味深い。イギリス社会の懐の深さだろうか。

 この芝居はシリアスな芝居ではない。テーマ自体はシリアスだが(今の日本に置き換えてみても十分にリアリティがあるが)、芝居そのものは喜劇だ。また、演出の鈴木裕美が作者ラティガンを評した言葉を借りると、‘直木賞的’な作品だ。

 ‘直木賞的’という言葉は名言だ。人情の機微に触れる芝居。何度かグッときた。登場人物の心の襞が細やかに描かれている。しかも分かりやすい。

 今回の公演では、ベテラン俳優3人の他に、演劇研修所の修了生が多数出演している。2013年の「長い墓標の列」、2014年の「マニラ瑞穂記」に続く企画だ。その企画は大賛成だが、今回は研修所の修了生とベテラン俳優3人との格差を感じた。ベテラン俳優の奥深さに比べて、研修所修了生はやはり生硬だ。大仰な演技、あるいはやり過ぎの演技は、笑いや共感を呼ばない。演技とは難しいものだと思った。

 翻訳は小川絵梨子。プログラムに掲載された演出の鈴木裕美との対談で、「これは70年前の英国の戯曲ですけれど、現代ロンドンの人たちがこの作品を観た時に感じる距離感と私たちが感じる距離感とを一緒にしたかった」と述べている。たしかに、時代背景や社会構造が違うので、距離感はあった。翻訳者はその距離感まで測っているのか――と感心した。
(2015.4.20.新国立劇場小劇場)
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