上高地から徳本峠(とくごうとうげ)を越えて島々に下る道は、わたしの定番ルート。毎年、春と秋に出かけている。今年は6月2日(土)に上高地に泊まり、翌3日(日)に歩いた。3日は上高地でウェストン祭があるので、前日の2日は宿が一杯ではないかと懸念したが、直前にもかかわらず、取れたのが幸いだった。
新宿から松本へのJR「あずさ」は、臨時列車の座席が取れた。出発時点では満席になっていたので、ギリギリのタイミングだったかもしれない。
上高地に着くと、観光客で賑わういつもの上高地だったが、夕食後、まだ明るいうちに河童橋に出ると、昼間の賑わいが嘘のように、ひっそりした、静かな河童橋になっていた。
翌日は、朝早く出発するため、朝食は弁当にしてもらった。5時起床。弁当を食べて6時出発。まだ人影もまばらな道を明神へ。明神から右に折れて、徳本峠への登り道へ。前述のように、毎年この時期に歩いているが、花の様子は毎年違う。今年はサンカヨウが多かった(写真↑)。白い花が清楚なので、好きな花だ。ニリンソウとショウジョウバカマは例年通りの咲き具合。
徳本峠から下りてくるグループと何度かすれ違った。皆さん、前日は徳本峠の小屋に泊まり、今日はウェストン祭に参加するのだろう。感心したのは、上り優先が徹底されていること。昔、わたしが山登りを始めた頃は、先輩からも、山小屋でも、上り優先とよくいわれたものだ。ところが、最近では、あまりいわれなくなった。そのためだろうか、だれか上ってきても、道を譲らないどころか、スピードを緩めずに下りてくる人がいる(中高年の人に多いような気がする)。でも、今回はさすがにそういう人はいなかった。
初老の単独行の男性が、わたしを追い抜いていった。ピッケルとビニール袋を持って、飄々と歩いていく。小屋を手伝っている人かと思った。徳本峠に着くと、その人が休んでいたので、言葉を交わした。71歳。前々日に横尾にテントを張り、前日は奥穂までピストン(!)。健脚だ。今日は明神に荷物を置き、徳本峠までピストン。「仕事を止めたので、これからは好きな時に、好きな山に行ける。幸せだなあ(笑い)」と。
徳本峠からの下山路は、緑、緑、緑で、緑に埋もれるとか、緑に染まりそうだとか、そんな形容がふさわしかった。
その晩は浅間温泉の定宿で一泊。温泉で汗を流して、ビールを飲み、ついでに地酒も少々(?)。
新宿から松本へのJR「あずさ」は、臨時列車の座席が取れた。出発時点では満席になっていたので、ギリギリのタイミングだったかもしれない。
上高地に着くと、観光客で賑わういつもの上高地だったが、夕食後、まだ明るいうちに河童橋に出ると、昼間の賑わいが嘘のように、ひっそりした、静かな河童橋になっていた。
翌日は、朝早く出発するため、朝食は弁当にしてもらった。5時起床。弁当を食べて6時出発。まだ人影もまばらな道を明神へ。明神から右に折れて、徳本峠への登り道へ。前述のように、毎年この時期に歩いているが、花の様子は毎年違う。今年はサンカヨウが多かった(写真↑)。白い花が清楚なので、好きな花だ。ニリンソウとショウジョウバカマは例年通りの咲き具合。
徳本峠から下りてくるグループと何度かすれ違った。皆さん、前日は徳本峠の小屋に泊まり、今日はウェストン祭に参加するのだろう。感心したのは、上り優先が徹底されていること。昔、わたしが山登りを始めた頃は、先輩からも、山小屋でも、上り優先とよくいわれたものだ。ところが、最近では、あまりいわれなくなった。そのためだろうか、だれか上ってきても、道を譲らないどころか、スピードを緩めずに下りてくる人がいる(中高年の人に多いような気がする)。でも、今回はさすがにそういう人はいなかった。
初老の単独行の男性が、わたしを追い抜いていった。ピッケルとビニール袋を持って、飄々と歩いていく。小屋を手伝っている人かと思った。徳本峠に着くと、その人が休んでいたので、言葉を交わした。71歳。前々日に横尾にテントを張り、前日は奥穂までピストン(!)。健脚だ。今日は明神に荷物を置き、徳本峠までピストン。「仕事を止めたので、これからは好きな時に、好きな山に行ける。幸せだなあ(笑い)」と。
徳本峠からの下山路は、緑、緑、緑で、緑に埋もれるとか、緑に染まりそうだとか、そんな形容がふさわしかった。
その晩は浅間温泉の定宿で一泊。温泉で汗を流して、ビールを飲み、ついでに地酒も少々(?)。