Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

こどもしょくどう

2019年04月06日 | 映画
 近頃ささやかなボランティアをしている。近所の公民館の一室でやっているのだが、先月のある日、隣の部屋で子ども食堂をやっていた。たいへんな賑わいだった。当日のメニューはカレーライスで、子どもは無料、大人は300円。廊下から覗いていたら、「いかがですか」と声を掛けられた。「いえ、結構です。恐縮です」と遠慮した。

 子ども食堂というと、親が夜遅くまで働いているので、一人で夕食をとる子とか、貧困のため満足な食事ができない子とか、そんなイメージがあるが、その子ども食堂は、親子連れの子が多く、楽しそうな声が飛び交っていた。貧困のイメージはなかった。

 でも、本当はどうなのだろう。廊下から覗いただけではわからない事情が、楽しそうな声の陰に隠れているのかもしれない。あるいは、貧困の只中にいる子は、そのような子ども食堂に来ることもできないかもしれない――などと考えた。

 そんな折に映画「こどもしょくどう」を知ったので、観に行った。ユウトは東京の下町に住む中学生。両親は小さな食堂を営んでいる。ミサという小学生の妹がいる。ユウトの友だちにタカシがいる。体は大きいが、いじめられている。タカシの家は母子家庭。母親からはネグレクトされている。

 ユウトとタカシは、ある日、河川敷で車中生活をするミチルとヒカルという姉妹に出会う。ミチルはユウトやタカシと同年齢くらい。ヒカルはミサよりも小さそうだ。父親がいるのだが、車に帰ってきたり、帰ってこなかったりで、育児放棄も同然だ。ミチルがヒカルの親代わりになって世話を焼いている。

 ミチルとヒカルは、両親揃って幸せな日々を送っていたこともあるが、何があったのか、事情はわからないが、母親は姿を消し、父親も二人を置いて逃げ出そうとしている中で、二人だけで車中生活をする羽目に陥っている。

 そんな5人の子どもたちの生活が、子どもたちの目線で描かれる。食堂を営むユウトの両親は、思いやりのある善意の人たちだが、そんな両親でさえ大人の目線が否めない。それが子どもたちの心に波紋を引き起こす。

 ミチルを演じる鈴木梨央(りお)の影のある繊細な演技に注目した。両親が揃っていた幸せな日々の回想シーンがあるのだが、そのときの明るい表情と、幼い妹と二人で車中生活を送る毎日の、その重みに必死に耐える暗い表情とは、別人のように見える。わたしは何度か胸をつかれた。2005年生まれだが、大人の演技だ。
(2019.4.1.岩波ホール)

(※)本作のHP
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