Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2019年04月27日 | 音楽
 大野和士指揮都響のBプロには、わたしの好きな曲が並んだ。武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」、シベリウスの交響曲第6番そしてラフマニノフの「交響的舞曲」。これら3曲にはなにか共通するものを感じるが、それはなんなのか‥。

 まず武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」。大野和士のどっしり腰を据えた指揮ぶりが印象的だ。曲を大きく把握した演奏。その中に小さなディテールがしっかり組み込まれている。何度も聴いたこの曲だが、今まで意識しなかったディテールが、確かな意味をもって聴こえてきた。オーケストラともよく噛み合っていた。最近気になっていた前のめりの姿勢が、今回は感じないで済んだ。

 次にシベリウスの交響曲第6番。全7曲あるシベリウスの交響曲の中では、第3番とともに、もっとも演奏頻度が少ない曲だが、わたしは好きだ。比較的コンパクトでわかりやすい第1~第3楽章に比べて、第4楽章の、とくにコーダの部分で、幽境に踏み入るような幻想性が生まれる。わたしはそこに惹かれるようだと、今回思った。

 大野和士/都響の演奏は、武満徹の「鳥は星形の‥」と同様に、曲を大きく把握して、どっしり腰を据えたものだった。第1楽章冒頭の弦楽器の清澄な音にハッとしたが、そのような音色も全体の中に組み込まれていた。

 最後にラフマニノフの「交響的舞曲」。これも前の2曲と同様に、曲を大きく把握した演奏だった。しかも個々の旋律への思い入れが熱い。何度も聴いたこの曲だが、思えば、時に空虚な(といっていいかどうか、言い直すとすれば、クールに流す)演奏もあった。それに対して、今回ははっきり目的意識を持った演奏だった。

 都響のアンサンブル能力の高さも感じた。とくに第3楽章ではスリリングな演奏が展開された。なお、第1楽章で印象的なソロがあるアルトサクソフォンには上野耕平が、ピアノには長尾洋史が入り、キラリと光る演奏を聴かせた。

 寺西基之氏のプログラムノートによれば、この曲は元々「幻想的舞曲」と名付けられていたそうだ。最終的には「交響的舞曲」となったが、曲の幻想的な性格をよく捉えた仮称だと思う。それに加えて、武満徹の「鳥は星形の‥」が、夢にインスピレーションを得た曲であることを考え合わせると、今回の3曲には幻想性という共通項がありそうだ。

 だが、(だからということではなくて、演奏として)それら3曲が同じように聴こえたことが、気にならなくもなかった。
(2019.4.26.サントリーホール)
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