日本フィルが4月上旬~中旬にヨーロッパ公演をした。その凱旋公演というと物々しいが、現地で演奏してきた曲目の一部を、先日の東京定期で披露し、それ以外の曲目を今回横浜定期で披露した。
1曲目はラウタヴァーラ(1928‐2016)の「In the Beginning」。2017年11月の東京定期で演奏されたので、わたしは2度目だが、2度目だと前回の印象を確認できる。霧が湧きたつような音楽は、前回の印象の通りだが、今回は意外なほどシベリウス的な世界を感じた。この作品はシベリウスへのオマージュかもしれない。
だが、曲が力感を増し、頂点に達したかと思われる時に、断ち切られるように終わる唐突なエンディングは、今回も理解できず、戸惑った。
2曲目は武満徹の「夢の縁へ」。武満徹の作品は、ヨーロッパ公演には「弦楽のためのレクイエム」を持っていったが(これは先日の東京定期で演奏された)、「夢の縁へ」はヨーロッパ公演にはなく、今回の横浜定期独自の選曲だ。「弦楽のための‥」で武満作品の演奏方法を会得したかのように、薄い音のテクスチュアを繊細に表現し、堂に入った演奏だった。
この作品は独奏楽器にギターが入るが、ギター独奏は村治佳織。アンコールに武満徹がギター用に編曲した「オーバー・ザ・レインボウ」と「イエスタデイ」が演奏された。
3曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番。響きを確かめながら、入念に音を紡いでいるような演奏だった。じつは今回の横浜定期は「神奈川県民ホール」で開かれたのだが、いつもの「みなとみらいホール」や東京定期での「サントリーホール」と違って、デッドな音響のホールをどう鳴らすか、そのノウハウを興味深く聴いた。
アンコールにシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏された。ヨーロッパ公演でのアンコール曲だが、そのニュアンス豊かな演奏は、当夜の白眉だった。後半、音楽が途切れとぎれになる箇所の、その無音の間が、これほど意味を持った演奏はない。インキネンと日本フィルが達成したものがこの「悲しきワルツ」に凝縮されているようだった。
日本フィルは、東京定期に引き続き、今回もソロ・コンサートマスターの木野雅之と扇谷泰朋の両名を、またソロ・チェロ奏者の菊池知也と辻本玲の両名を揃えて、万全の態勢をとった。ヨーロッパ公演の総仕上げとして、東京定期と横浜定期まで気を緩めず、緊張感を持続したことが喜ばしい。
(2019.4.27.神奈川県民ホール)
1曲目はラウタヴァーラ(1928‐2016)の「In the Beginning」。2017年11月の東京定期で演奏されたので、わたしは2度目だが、2度目だと前回の印象を確認できる。霧が湧きたつような音楽は、前回の印象の通りだが、今回は意外なほどシベリウス的な世界を感じた。この作品はシベリウスへのオマージュかもしれない。
だが、曲が力感を増し、頂点に達したかと思われる時に、断ち切られるように終わる唐突なエンディングは、今回も理解できず、戸惑った。
2曲目は武満徹の「夢の縁へ」。武満徹の作品は、ヨーロッパ公演には「弦楽のためのレクイエム」を持っていったが(これは先日の東京定期で演奏された)、「夢の縁へ」はヨーロッパ公演にはなく、今回の横浜定期独自の選曲だ。「弦楽のための‥」で武満作品の演奏方法を会得したかのように、薄い音のテクスチュアを繊細に表現し、堂に入った演奏だった。
この作品は独奏楽器にギターが入るが、ギター独奏は村治佳織。アンコールに武満徹がギター用に編曲した「オーバー・ザ・レインボウ」と「イエスタデイ」が演奏された。
3曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番。響きを確かめながら、入念に音を紡いでいるような演奏だった。じつは今回の横浜定期は「神奈川県民ホール」で開かれたのだが、いつもの「みなとみらいホール」や東京定期での「サントリーホール」と違って、デッドな音響のホールをどう鳴らすか、そのノウハウを興味深く聴いた。
アンコールにシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏された。ヨーロッパ公演でのアンコール曲だが、そのニュアンス豊かな演奏は、当夜の白眉だった。後半、音楽が途切れとぎれになる箇所の、その無音の間が、これほど意味を持った演奏はない。インキネンと日本フィルが達成したものがこの「悲しきワルツ」に凝縮されているようだった。
日本フィルは、東京定期に引き続き、今回もソロ・コンサートマスターの木野雅之と扇谷泰朋の両名を、またソロ・チェロ奏者の菊池知也と辻本玲の両名を揃えて、万全の態勢をとった。ヨーロッパ公演の総仕上げとして、東京定期と横浜定期まで気を緩めず、緊張感を持続したことが喜ばしい。
(2019.4.27.神奈川県民ホール)