ヨーロッパ公演から帰ったばかりのインキネンと日本フィル。インキネンはともかく、日本フィルはツアー疲れが出ていないかと、内心不安を抱きながら、東京定期へ。だが、その不安は1曲目の武満徹「弦楽のためのレクイエム」が始まった途端に消えうせた。
驚くべき繊細な音が流れてきた。薄いヴェールが空中に漂っているような音。その中から今まで聴こえなかった(あるいは、聴こえていても、その意味に気付かなかった)音が聴こえる。緊張感が途切れることがない。雑な音、無神経な音が鳴ることは皆無だ。美しく、しかもクールで、甘くはない音。今まで聴いたどんな演奏よりも美しいと思った。
ヨーロッパ公演で練り上げた演奏かもしれないが、それにしても、馴れがなく、新鮮で、緊張感を保った演奏ができるところに、日本フィルの成長と、インキネンの指導力が窺われた。
2曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏はイギリスの巨匠ジョン・リル。まさに巨匠というにふさわしい演奏家だ。第1楽章と第2楽章は真綿で包むような演奏。柔らかく、けっして声を荒げないが、それでいてしっかり芯のある演奏。自分のペースを乱さず、そのペースにオーケストラも聴衆も引き込んでいく。
第3楽章は大きな音で、はっきり発音していたが、それは全体設計に沿ったものと思われた。オーケストラもそれに合わせてよく鳴らした。
3曲目はシベリウスの交響曲第2番。前曲の第3楽章に現れた演奏スタイルを敷衍し、完成させるような、明確な方向性を持った演奏。オーケストラがよく鳴る。その音はエッジが効いて、彫りが深い。北欧情緒とか、情念とかのシベリウスではなく、純音楽的な、音の構築物としてのシベリウス。
インキネンには、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」に現れた、肌理の細かい、綿密なテクスチュアを志向する面と、シベリウスの交響曲第2番に現れた、エッジの効いた音でオーケストラを鳴らす面と、その両面がありそうだ。それが今後融合して、ユニークな個性に結実するのかどうか。
ヨーロッパ公演でアンコールに演奏されたシベリウスの「悲しいワルツ」も聴いてみたかったが、終演後ホールを出たら、21:10になっていた。意外に時間がかかったようだ。聴いているうちはそれに気付かなかったのは、興味を惹くポイントが沢山あったからだろう。凱旋公演を成功裡に終えたことを、聴衆としても喜びたい。
(2019.4.19.サントリーホール)
驚くべき繊細な音が流れてきた。薄いヴェールが空中に漂っているような音。その中から今まで聴こえなかった(あるいは、聴こえていても、その意味に気付かなかった)音が聴こえる。緊張感が途切れることがない。雑な音、無神経な音が鳴ることは皆無だ。美しく、しかもクールで、甘くはない音。今まで聴いたどんな演奏よりも美しいと思った。
ヨーロッパ公演で練り上げた演奏かもしれないが、それにしても、馴れがなく、新鮮で、緊張感を保った演奏ができるところに、日本フィルの成長と、インキネンの指導力が窺われた。
2曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏はイギリスの巨匠ジョン・リル。まさに巨匠というにふさわしい演奏家だ。第1楽章と第2楽章は真綿で包むような演奏。柔らかく、けっして声を荒げないが、それでいてしっかり芯のある演奏。自分のペースを乱さず、そのペースにオーケストラも聴衆も引き込んでいく。
第3楽章は大きな音で、はっきり発音していたが、それは全体設計に沿ったものと思われた。オーケストラもそれに合わせてよく鳴らした。
3曲目はシベリウスの交響曲第2番。前曲の第3楽章に現れた演奏スタイルを敷衍し、完成させるような、明確な方向性を持った演奏。オーケストラがよく鳴る。その音はエッジが効いて、彫りが深い。北欧情緒とか、情念とかのシベリウスではなく、純音楽的な、音の構築物としてのシベリウス。
インキネンには、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」に現れた、肌理の細かい、綿密なテクスチュアを志向する面と、シベリウスの交響曲第2番に現れた、エッジの効いた音でオーケストラを鳴らす面と、その両面がありそうだ。それが今後融合して、ユニークな個性に結実するのかどうか。
ヨーロッパ公演でアンコールに演奏されたシベリウスの「悲しいワルツ」も聴いてみたかったが、終演後ホールを出たら、21:10になっていた。意外に時間がかかったようだ。聴いているうちはそれに気付かなかったのは、興味を惹くポイントが沢山あったからだろう。凱旋公演を成功裡に終えたことを、聴衆としても喜びたい。
(2019.4.19.サントリーホール)