Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

キスリング展

2019年05月10日 | 美術
 エコール・ド・パリの画家キスリング(1891‐1953)は、同じエコール・ド・パリの画家ユトリロ(1883‐1955)、モディリアーニ(1884‐1920)、パスキン(1885‐1930)、藤田嗣治(1886‐1968)、シャガール(1887‐1985)などと比べると、その作品に接する機会が少ないと思う。本展はそんなキスリングの作品をまとめて見るいい機会だ。

 キスリングはポーランドのクラクフで生まれた。最初は彫刻家を志望していたが、地元の美術学校の彫刻教室が満員だったため、絵画教室に入った。そこで絵画に目覚め、師のすすめでパリに出た。1910年、19歳の時だった。最初はモンマルトルに住み、次にモンパルナスに移った。モディリアーニとは親友の間柄になった。

 キスリングは陽気で明るく、社交的だった。本展にはシャガールとのツーショットや、藤田嗣治や美女たちと写っている写真が展示されている。

 チラシ(↑)に使われている作品は「ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)」(1933年)。本展の目玉の一つだ。サイズは160×110㎝と意外に大きい。堂々とした存在感を備え、キスリングの力量の充溢を感じさせる。紛れもない傑作だが、本展を通覧した後では、本作に(他の作品と比べて)例外的な点があることに気づく。

 それを列挙すると、まず全身像であること(キスリングには半身像が多い)。また背景が具象的であること(背景は無地のものが多い)。純潔の象徴である百合の花を持っていること(何かの象徴が描き込まれている例は珍しい)。影がないこと(ぼんやりした影が描かれている作品が多い)。

 一方、首を傾げて、斜め下を向いた視線は、キスリングの肖像画・裸体画に共通する特徴だ。モデルは画家(鑑賞者)と視線を合わせない。結果、モデルと画家(鑑賞者)との間に距離感が生まれる。モデルの心の中を見通せない、そんなもどかしさを伴う距離感と、前述のように社交的だったキスリングの性格との関係は、どうなのだろう。

 本作のキャプションによると、モデルのベル=ガズーは作家のコレット(1873‐1954)の娘だそうだ。そうか、気合の入り方が違うわけだと、納得できる気がするが、奔放な性生活で知られるコレットなので、その娘が純潔の象徴の百合の花を持って描かれている点に、興味を惹かれなくもない。

 本作はコレットの依頼で描かれたものか、それとも、ほかのだれかの依頼なのか、どんないきさつで描かれたものだろう。
(2019.5.9.東京都庭園美術館)

(※)本展のHP
コメント (2)
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