Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

エド・デ・ワールト/N響

2019年05月13日 | 音楽
 エド・デ・ワールト指揮N響の定期は、メイン・プロにジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」が組まれていることと、前プロにロナルド・ブラウティハムという未知のピアニストが登場することとで、以前から楽しみにしていた。

 演奏順に、まずベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」から。ピアノはブラウティハム。1954年アムステルダム生まれ。出だしのカデンツァからして、滑らかなコクのある、一種独特の美音に惹きこまれた。楽器はスタインウェイだが、そこから(陳腐な喩えで申し訳ないが)ヴィンテージ物のワインか何かのような音が出た。

 第1楽章での細かい強弱のニュアンスの豊かさ、第2楽章での繊細な表現(オーケストラの冒頭の弱音も美しかった)、第3楽章での、けっしてヒロイズムに酔うことのない、音楽の姿を見つめた演奏など、どこをとっても申し分なく、わたしは「この曲は、こういう演奏でなければ、演奏してはいけないのではないか」と思った。

 アンコールは、なんと「エリーゼのために」。これまた、通俗名曲の演奏ではなく、ベートーヴェンが書いた真の姿を伝える、音楽的な、きわめて音楽的な演奏で、感銘深かった。

 次にジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」。多くの方と同様に、わたしも2015年10月の下野竜也指揮読響定期でこの曲を聴いたが、下野竜也の意欲は大いに買うものの、その演奏はパワーで押す傾向があり、汗が飛び散る体育会系の印象が残っている。

 それに比べて、今回の演奏は、肩の力が抜け、軽いリズムと、明るく柔らかい音色で、この曲の本来の姿に接した喜びがある。N響のアンサンブルの精度はいうまでもなく、そのアンサンブルがあればこその演奏だったが、それは読響も同様だろう。やはりエド・デ・ワールトの軽く、粘らないリズム感とこの曲との相性がよかったのだと思う。

 わたしは迂闊にも忘れていたが、第2部「アンフォルタスの傷」のクライマックスで鳴る強烈な不協和音は、「マーラー《交響曲第10番》の悲痛な和音」の引用だそうだ(岡部真一郎氏のプログラム・ノーツ)。たしかにそう聴こえた。そう思うと、マーラーのあの曲が別のコンテクストで頭の中に蘇った。

 エド・デ・ワールトはこの曲の初演者だ。1985年3月、当時サンフランシスコ交響楽団の音楽監督だったワールトは、同交響楽団を振って初演した。わたしは聴く前はそのことにあまり重きを置かなかったが、聴いた後では、思いがけない感慨が湧いてきた。
(2019.5.12.NHKホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする