Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

丸谷才一「笹まくら」

2019年08月24日 | 読書
 丸谷才一の「女ざかり」と「樹影譚」を読み、作風がまったく異なることに興味をひかれて、もう一冊読んでみようと思った。何にするかと考えて、わたしの大学時代に出版され、妹は読んだが、わたしは読まなかった「たった一人の反乱」にしようかと思ったが、米原万理が「笹まくら」を激賞しているのを知って、それにした。

 「笹まくら」の作風は「女ざかり」とも「樹影譚」とも異なっていた。わたしは再度驚いた。では、3作のうち一つを選ぶとしたら、どれを選ぶかと自問して、内容的には「笹まくら」に、方法論的には「樹影譚」に惹かれる自分を見出した。

 「笹まくら」は徴兵忌避者の話。昭和15年の秋、赤紙を受け取った浜田庄吉は、入営の前日に姿をくらます。杉浦健次という偽名を使って、最初はラジオや時計の修理屋、後には砂絵屋(当時の大道芸人)をしながら逃亡生活を続ける。恐怖と孤独の日々。1960年代に流行ったテレビドラマ「逃亡者」さながらの逃亡生活が痛々しい。

 結局、浜田庄吉は逃亡しきる。戦後20年たった今は、東京の私立大学の職員をしている。学内では浜田が徴兵忌避者であったことは知れ渡っている。皮肉なことに、世の中が平和になるにつれて、浜田への反感が強まる。浜田はその圧力に耐えるが、それゆえ、浜田の中では戦争は終わらない。

 ざっというと、以上のような内容だが、そこに描かれた逃亡生活と戦後20年の「今」の生活が、息詰まるほどリアルだ。本作は丸谷才一の体験ではないが、そんな作者がどうしてこれほどリアルな描写ができるのかと、舌を巻くばかり。

 方法論的には、「今」の生活は時系列に進むが、戦争中の逃亡生活は、フラッシュバックのように断片的に回想される。前後の脈絡はほとんどない。だが、それらが積み重なるにつれて、全体像がおぼろげに見えてくる。そして「今」の浜田庄吉が、ある事件をきっかけに、ある決断をしようとする瞬間に、逃亡生活の回想が逃亡しようとする瞬間にさかのぼり、現在と過去の二つの決断が重なる。

 わたしが読んだのは新潮文庫だが、その解説に川本三郎氏が「これまでも徴兵忌避者を描いた小説は、古くは吉田絃二郎の『清作の妻』、近くは水上勉の『あかね雲』などなくはないが、『笹まくら』ほど、徹底して逃亡生活を描き切った小説はない。」と書いている。「徹底して(中略)描き切った」というくだりに同感だ。本作に描かれた戦時中の重苦しい空気感は、石川淳の「マルスの歌」を連想させる。石川淳が捉えたその空気感に、丸谷才一は人物(徴兵忌避者)を投入し、行動させた。
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