Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2019年09月16日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のAプロはオール・ポーランド・プロ。1曲目はバツェヴィチBacewicz(1909‐1969)の「弦楽オーケストラのための協奏曲」(1948年)。バツェヴィチはルトスワフスキ(1913‐1994)と同世代の女性作曲家。ワルシャワ音楽院で作曲とヴァイオリンを学んだ後、パリでナディア・ブーランジェに師事した。本作は弦楽合奏曲だが、ヴァイオリンとチェロのソロが頻出し、またヴィオラのソロも印象深い。演奏は分厚い弦(14型)に威力があったが、粗さもあった。

 2曲目はヴィエニャフスキ(1835‐1880)の「ヴァイオリン協奏曲第2番」(1856‐62年)。ヴァイオリン独奏はジョシュア・ベル。ヴィエニャフスキの代表作であり、演奏機会も多いが、今回ほど見事な演奏はめったにない。ジョシュア・ベルのヴィルトゥオーソぶりに目をみはった。

 張りのある音、スリリングな音楽の運び、それでいて崩れない骨格、どれをとっても当代一流のヴァイオリニストだ。そのソロにぴったりつけるオーケストラも見事で、リスクを取りながら、それをリスクと感じさせないソリスト、指揮者とオーケストラの技術の高さに惹き込まれた。

 後半2曲はルトスワフスキの作品。まず「小組曲」(室内オーケストラ版1950年/オーケストラ編曲版1951年。今回の演奏はオーケストラ編曲版)。「自国のフォークロアを用いた軽音楽的な作品を、という放送局からの依頼を受けて作曲された」(重川真紀氏のプログラム・ノーツ)が、重川氏も指摘するように、それだけでは終わらない質の高さが感じられる。

 たぶん普通のオーケストラと指揮者だったら、もう少し素朴な演奏をするのではないかと思うが、パーヴォとN響だと、切れのいい、鮮やかな演奏になる点がおもしろい。「軽音楽的な」要素が損なわれるわけではないが、その娯楽性は、たとえば定規で計ってみたら、寸分の狂いもないような、そんな緊密さを誇っている。

 最後は「管弦楽のための協奏曲」(1954年)。これはもうパーヴォとN響だったら、名演が約束されているような、そんなうってつけの選曲で、実際に名演になったのだが、その名演を前にして、想定内という感想が浮かんでしまうのが、我ながら恐ろしい。それでも、これは名演だった。音の輝き、ニュアンスの豊かさ、微細な音の明瞭さ、その他どこをとっても超一流の演奏が展開された。

 想定内と感じてしまう一番の理由は、本作が保守性を備えているためだろう。同じルトスワフスキでも、もっと前衛的な作品だったら、演奏に対する驚きも変わったろう。
(2019.9.15.NHKホール)
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