Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「エウゲニ・オネーギン」雑感

2019年10月05日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「エウゲニ・オネーギン」の感想は先日書いたが、それに付随して、このオペラについて考えていることを書いておきたい。

 それはこのオペラとワーグナーの「さまよえるオランダ人」との関連はあるのか、ないのか、ということだ。「エウゲニ・オネーギン」では、タチヤーナはロマン的な小説を読み耽り、オネーギンを夢見るようになっている。そこに現実のオネーギンが現れるので、タチヤーナは一気に恋に落ちる。というよりもむしろ、タチヤーナは現実のオネーギンが現れる前からすでに恋に落ちている。

 同じように「さまよえるオランダ人」では、ゼンタは日々、呪われたオランダ人の絵を見つめ、そのオランダ人を救済するのは自分だと思い詰めている。そこに現実のオランダ人が現れるので、一気に恋に落ちる。夢想が現実になる。

 双方のプロットはそっくりだ。もっとも、その後の展開は、「エウゲニ・オネーギン」では、タチヤーナはオネーギンにふられ、数年後にはオネーギンがタチヤーナにふられるという展開になる(それはもちろんプーシキンの原作に沿っている)。一方、「さまよえるオランダ人」では、ゼンタはオランダ人を救うために自己犠牲をするという(劇的ではあるが)ワーグナーの願望に満ちた展開になる。そのように、前者は現実的な展開、後者はヒロイックな展開と対照的だが、その発端は似ている。

 音楽面を見ると、「エウゲニ・オネーギン」では、全体はタチヤーナの手紙の場を中心に構成され、「さまよえるオランダ人」ではゼンタのバラードを中心に構成されている点が似ている。そのゼンタのバラードは、マルシュナーのオペラ「吸血鬼」での吸血鬼のバラードに範をとっているので、マルシュナーからワーグナーへ、ワーグナーからチャイコフスキーへと受け継がれた構成方法だ。

 ワーグナーとチャイコフスキーということでは、もう一つ、「ローエングリン」の禁問の動機と「白鳥の湖」の白鳥のテーマとの類似性がある。その類似性は偶然とは思えない。だが、文字通り「動機」にすぎない禁問の動機と、それを「旋律」に発展させた白鳥のテーマとは、性格が異なる。「発端」は同じだが「その後の展開」が異なるというパターンが、ここでも見られる。

 ワーグナーとチャイコフスキーとは面識があったのだろうか。調べればわかることなのだが‥。少なくとも第1回バイロイト音楽祭で「ニーベルングの指輪」全体が初演されたとき、チャイコフスキーはその場にいた。そのときチャイコフスキーがワーグナーを表敬訪問したことはあり得るだろう。
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