Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

井上道義/N響

2019年10月07日 | 音楽
 井上道義指揮N響の定期。1曲目はフィリップ・グラス(1937‐)の「2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲」(2000年)。2人のティンパニ奏者を独奏者とする協奏曲という珍しい曲。独奏者はN響の2人の首席ティンパニ奏者、植松透さんと久保昌一さん。

 ステージの前面に、指揮者を挟んで、ずらっとティンパニが並ぶ。下手(客席から見て左側)に植松さん、上手に久保さん。植松さんは立奏、久保さんは腰かけて演奏。比喩として適当ではないと思うが、あえて漫才のボケとツッコミに例えると、植松さんのパートはツッコミ的に、久保さんのパートはボケ的に書かれている。リズムを先導する植松さんと、それを受ける久保さん。

 全3楽章からなり(プログラム表記では演奏時間約27分)、第2楽章と第3楽章の間にカデンツァが入る。そのカデンツァは、2人のティパニ奏者だけでなく、オーケストラの中の打楽器奏者たちも加わり、打楽器アンサンブルになる。わたしは高校時代まで打楽器をやっていたので、昔の血が騒いだ。

 オーケストラの音は「抜けるような青空」的な明るく乾いた音。その音でグラス特有の小刻みなリズムが続く。ノリのいい曲、ゴキゲンな曲、そんな曲を演奏するN響は見事だった。なおコンサートマスターにはキュッヒルさんが入った。グラスの曲を弾くキュッヒルさんも見ものだった。

 プログラム後半はショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」。これも見事な演奏だった。弦は18型の大編成だったが、その弦が重くならず、また3管編成を基本とする管楽器と多数の打楽器という巨大なオーケストラ編成にもかかわらず、トゥッティでも音が濁らず、アンサンブルも雑にならなかった。どんなにスピードを出しても安定走行を続ける高級車のようなもので、そのハンドルを握る井上道義の棒も冴えていた。

 聴きどころは沢山あったが、一つだけあげると、第3楽章でのヴィオラの旋律が、豊かな音で情感たっぷりに歌われた。ヴィオラのトップには首席客演奏者の川本嘉子さんが入った。川本さんが入るとヴィオラの音が変わるようだ。

 仮にこの演奏がCD化されたら、名演だと思うだろう。だが、会場で聴いていると、気になることがあった。それはどこか楽天的なことだ。たとえば第1楽章冒頭の弦は、美しくはあるが、緊迫感とか不穏さには欠ける。そんな楽天性が最後まであった。それは音響とか技術とかを超えた、指揮者の全人格の反映と思われた。
(2019.10.6.NHKホール)
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