Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ソヒエフ/N響

2019年10月24日 | 音楽
 先日、ソヒエフ指揮N響のCプロを聴いて、少し大げさな表現かもしれないが、この演奏は生涯忘れないだろうと思った。控えめにいっても、今年聴いたオーケストラの演奏の中で、声楽付きの作品を除くと、これがベストだと思った。そんな感慨に浸りながら、その足で新宿に向かい、友人と一杯やった。そのうち下腹部が痛くなったので、飲むのを切り上げて帰宅した。家に帰っても痛みが治まらず、じっと我慢していたが、妻が見かねて、深夜、救急車を呼んだ。近くの病院に受け入れてもらい、処置を受けた。処置がうまくいったからいいが、うまくいかなかったら、緊急手術だったらしい。そのまま入院して、昨日(10月23日)一旦退院した。

 そんな事情で、ソヒエフ/N響の記録を書くのが遅くなったが、上記の通り、たいへん感銘を受けたので、備忘的に書いておきたい――。1曲目のバラキレフの「東洋風の幻想曲『イスラメイ』」(リャプノーフ編曲)は、鮮やかな演奏だし、色彩も豊かだったが、勢いに任せる面もあった。

 2曲目のラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ独奏は二コラ・アンゲリッシュ)は、ピアノ独奏もオーケストラも、ともに見事な演奏で、見事という形容詞では物足りないくらい、各変奏の性格づけが際立ち、次元の異なる場面が次々に出てくるおもしろさがあった。正直言って、今までに数え切れないほど聴いたこの曲の、真の姿を見た思いがした。

 アンゲリッシュはアンコールにショパンの「マズルカ ヘ短調 作品63‐2」を弾いた。メランコリックな曲だが、アンゲリッシュの演奏はそのメランコリーに沈潜し、偶然かもしれないが、ラフマニノフに通じる情感を醸し出した。

 3曲目のチャイコフスキーの交響曲第4番は目をみはるような演奏だった。第1楽章の冒頭のファンファーレが、滑らかに、やわらかく、流れるように演奏され、まず意表を突かれた。悲劇的な身振りはない。その後の展開も言うに及ばず、既成概念を洗い流した新鮮な演奏が続いた。第2楽章は「エフゲニー・オネーギン」の第1幕のようなメランコリーが漂った。第3楽章のピチカートはまるでアニメを見るよう。第4楽章は歓喜の爆発という既成のプログラムから脱して、ずっしりした手応えがあった。

 全体を通して、ソヒエフとN響の一体感が印象的だった。ソヒエフの音楽は、がっしりした構成が揺るがず、しかもその中に柔軟なフレージングが躍動するものだが、そのような音楽をN響が信頼し、実力を存分に発揮していることが伝わった。ソヒエフとN響は今蜜月の時期にあるようだ。
(2019.10.19.NHKホール)
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