Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大岡昇平「事件」

2020年08月04日 | 読書
 大岡昇平の「事件」は推理小説だ。自らの従軍体験にもとづく戦争小説や、戦後の世相を背景とする恋愛小説など、「純文学」の書き手だった大岡昇平が、なぜ推理小説を書いたのかと、わたしは前から気になっていた。そこで「事件」を読んだ。文庫本で527ページの長編小説なので、手に取ったときはギョッとしたが、読み始めると、一気に読めた。第1回公判、第2回公判と、裁判の場面を柱にしているので、自分がいまどこにいるか、迷子にならずに済むからだろう。

 事件そのものは単純で、いまの世の中でも、普通にありそうな事件だ。犯人も自供している。だが、裁判が重なるにつれて、意外な人間関係が浮き上がってくる。事件の細部にはあいまいな点があることも気になってくる。推理小説なので、少なくともわたしは、どんなトリックが潜んでいるのか、真犯人がいるのではないか、といった点に興味があった。

 本稿ではこれ以上内容には立ち入らないが、ともかく検察側も弁護側も、ともに納得できる判決が出た後で、最後に「真実」という章がくる。読者をホッと一安心させた後で、でも、真実はどうだったのか、という疑問を呼び起こす。「真実」ではそれなりの推理は書かれるが、むしろ疑問を増幅するともいえる。わたしは最後まで読み終えてから、つらつらと考えるうちに、わたしなりの真実を思い描いた。それで落ち着いた。

 思うに、これは読者へのサービスだったのではないか。読者に疑問を起こさせて、自ら考えるように仕向ける。そして各人に真実を思い描かせる。各人の胸に宿る真実をもって本作は完結する、という仕掛けではないか。

 「事件」は1978年の第31回日本推理作家協会賞を受賞した。本業の推理小説家から本格的な推理小説と認められたわけだが、その一方で、大岡昇平の既存の作品を彷彿とさせる点もある。第一に「野火」のクライマックスで主人公の田村一等兵が記憶を失う点だ。それと似たようなプロットが本作にもある。わたしは本作にも「野火」に類するトリックを想定した。

 第二に「俘虜記」の冒頭の「捉まるまで」との類似だ。自分はなぜ米兵を撃たなかったのかと、繰り返し、あらゆる側面から考える、その執拗さと似た構造がある。「捉まるまで」の凝縮した思索と、本作の裁判を通じて次第に人間関係が明らかになる過程とは、ニュアンスが異なるが、執拗さの点では似ている。

 前述のように、「事件」はどこかに疑問を残して終わるが、わたしは最後の段落に(もっといえば、最後の1行に)胸をうたれた。そこでは真実も何もかもすべてが人生の平凡さに溶解していく。事件の真実は読者に委ねられるが、作品は完結している。
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