Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

広上淳一/日本フィル

2024年07月14日 | 音楽
 広上淳一指揮日本フィルの定期演奏会。1曲目はリゲティのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は米元響子。最近、コパチンスカヤの独奏、大野和士指揮都響の演奏と、荒井英治の独奏、高関健指揮東京シティ・フィルの演奏で聴いたばかりだ。さて、今回はどうか。

 結果的には、期待値を上回る出来だった。ヴァイオリン独奏が繊細な音を紡ぐ。オーケストラも繊細だ。ヴァイオリン独奏とオーケストラが一体になり、ガラス繊維のような音響を形成する。時々打楽器が強い音を打ち込む。繊細な音響にアクセントを付けるようだ。特徴的なことは、各楽章がキャラクター・ピースのように性格付けられていることだ。目が覚める思いがする。

 前述のとおり、最近3回この曲を聴いたが、演奏は三者三様だ。コパチンスカヤの演奏は、おもしろくて仕方がなかった。個人芸といいたいくらいだ。だが、唖然としている間に終わった感がある。リゲティを聴いたのか、コパチンスカヤを聴いたのか‥。荒井英治の演奏も良かった。真正面からこの難曲に取り組む手ごたえがあった。そして今回の米元響子の演奏は、他の2者よりもこの曲の美しさを際立たせたように思う。わたしは初めてその美しさに開眼した。

 リゲティのこの曲は、姉妹作ともいえるピアノ協奏曲とともに、リゲティの奥の院的なイメージがあったが、これほど頻繁に演奏されると、奥の院どころか、人気作のイメージが生まれる。今回の演奏では、演奏の美しさのためだろうか、第2楽章はいうまでもなく、他の楽章でも東欧的な音調を感じるときがあった。人気作として一般化する過程で注目される要素かもしれない。

 米元響子のアンコールがあった。クライスラーの「レチタティーボとスケルツォ」だ。リゲティで東欧的な音調を感じたせいか、クライスラーのこの曲にも、何か東欧的な音調があるような、ないような、あやふやな感覚になった。

 2曲目はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。先日、鈴木秀美指揮東京シティ・フィルで聴いたばかりだが、それとは対照的な演奏だった。鈴木秀美は強いアクセントと速めのテンポで、引き締まった、アグレッシブな演奏をしたが、広上淳一は軽いアクセントと遅めのテンポで、ゆったりした、クッションのように柔らかい演奏をした。どちらが良いかは、好みの問題だろう。唯一デフォルメした箇所は、第1楽章の末尾だ。そこは大きくテンポを落とした。驚いた。以降、またどこかに仕掛けがあるかもしれないと思ったが、とくに何も起こらなかった。
(2024.7.13.サントリーホール)

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