Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マイスター/読響

2016年07月15日 | 音楽
 コルネリウス・マイスターは1980年生まれのドイツ人。スリムで爽やかな印象の指揮者だ。来年4月に読響の首席客演指揮者に就任する。

 1曲目はハイドンの交響曲第6番「朝」。後続の第7番「昼」、第8番「晩」と三部作を構成し、人目を引きやすいからか、ハイドンの初期作品の中では比較的演奏される機会が多い曲だ。全4楽章のいたるところに、フルート、ファゴット、ヴァイオリン、チェロ、その他の各パート(コントラバスまで!)のソロが顔を出す。こういう曲は実演でこそ楽しさを実感できる。

 マイスターの指揮は、明るく、淀みなく、(外見のとおり)爽やかだ。弦は10‐8‐4‐3‐2の編成。高音の比重が高いことがマイスターの意図を物語る。

 2曲目はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。第1楽章の冒頭、低弦のリズムの刻みが少しも物々しくなく、あっさりしている。直後のトゥッティでは金管の音が明るい。‘アルマのテーマ’といわれる弦の第2主題が、大きく、空に羽ばたくように歌われる。どのフレーズも一本調子にはならず、柔軟に伸縮している。しかもくっきりした輪郭を備えている。

 ストレスがかからない演奏だと思っているうちに、少し退屈してきた。マーラーの焦燥感とか、憧れとか、そんな‘澱’のようなものが感じられない。きれいな河の流れのようだ。それがずっと続く。緩徐楽章(今回の演奏では第2楽章)の冒頭のテーマは甘さが抑えられ、また同楽章の最後に現れる堰を切ったような悲しみも、とくになんということもなく過ぎた。

 わたしはこの指揮者を以前聴いたことがあるが、それを想い出した。2012年2月のことだが、ドレスデン国立歌劇場で「ルル」を観たときに、この指揮者が振っていた。シュテファン・ヘアハイムの演出とエバーハルト・クロケの第3幕の補筆版が目当てだったが(そしてどちらも面白かったが)、当時は未知だったこの若い指揮者が振るオーケストラの、明るく、軽く、均質なテクスチュアにも感心した。

 そのときは感心したのに、今回は少し退屈したのはなぜだろう。歌手や演出も絡むオペラとオーケストラ・コンサートとの違いだろうか。それとも後期ロマン派の音楽と12音の音楽との違いか。結論を急がずに、マイスターが明確な個性と上質な音楽性を持つ指揮者であることは疑いないので、今後その適性や可能性を見極めることを楽しみたい。
(2016.7.14.サントリーホール)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シアター・プノンペン | トップ | DIC川村記念美術館のロスコ・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事