Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

エッシェンバッハ/N響

2022年04月11日 | 音楽
 エッシェンバッハ指揮N響のAプロ。1曲目はドヴォルザークの序曲「謝肉祭」。快速テンポの快演だったが、それ以上の感想が浮かんでこない。メカニックな優秀さに焦点を絞るなら、もう一段上を望みたい。

 2曲目はモーツァルトのフルート協奏曲第1番。フルート独奏はギリシャ出身の若手奏者スタティス・カラパノスStathis Karapanos。エッシェンバッハの秘蔵っ子らしい。優秀なフルーティストなのだろうが、この曲で個性を発揮するには至らなかった。エッシェンバッハの指揮もフルート奏者の引き立て役にまわり、とくに何もしていなかった。

 正直言って、このフルート奏者がどういう演奏家なのか、よくわからなかったが、アンコールで感心した。2曲演奏されたが、1曲目はだれのなんという曲か、独特の抒情をたたえて、心のひだに染み入ってくるような曲だった。演奏は大きな弧線を描き、その隅々に小さな息遣いがあり、その息遣いが生きた小動物のような、一言で言って、呼吸のコントロールが見事な演奏だった(帰宅後、N響のツイッターを見たら、久石譲の「となりのトトロ」から「風のとおり道」だった)。

 アンコールの2曲目はドビュッシーの「シランクス」。定番のアンコールピースだが、これも1曲目で感じたような、全体の大きなラインと、その陰で息づく小さな動きという音楽のつかみ方を裏打ちするような演奏だった。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。冒頭の和音がスッと入ってくるように(そうとしか表現できないのだが、身構えずに自然体で)鳴らされた。その音の晴朗さにハッとした。力まず、しかも確かな手ごたえのある音だ。続く木管のフレーズのやりとりも、どのパートも細心の注意を払って、滑らかに受け継がれる。主部に入ってからも、心地よい手ごたえのある、(比喩的に言えば)青空に抜けるような音が鳴った。

 第2楽章では「タータタ・ターター」というリズム音型の裏のオブリガート旋律が前面に出た(その部分ではリズム音型は抑えられた)。オブリガート旋律を弾くヴィオラとチェロの、不思議な光を放つような(端的に言えば、底光りのする)音色に惹きこまれた。

 全体を通してこれは驚嘆すべき名演だった。どこがどうだというよりも、演奏全体から精神の輝きが感じられた。余計なものを削ぎ落し、磨き抜かれた精神が立ち上がってくるようだった。わたしはいままでエッシェンバッハの指揮をN響、北ドイツ放送響(現NDRエルプ・フィル)、パリのバスティーユ・オペラ、その他で聴いてきたが、エッシェンバッハの本領が今度こそわかった。
(2022.4.10.東京芸術劇場)

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