Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アンドレ・ボーシャン+藤田龍児「牧歌礼讃/楽園憧憬」展

2022年07月05日 | 美術
 東京ステーションギャラリーでアンドレ・ボーシャン(1873‐1958)と藤田龍児(1928‐2002)の二人展「牧歌礼賛/楽園憧憬」が開催中だ。

 フランスの画家・ボーシャンと藤田龍児とは、生きた時代も場所も異なり、なんのつながりもない。あえていえば、ともに素朴派の画家と分類される点が共通するくらいだ。その素朴派という分類も、後世の人々がそう呼ぶだけで、画家本人が素朴派をめざしたわけではない。だが、それはともかく、本展には二人に共通する明るくポジティブな活力がみなぎっている。それだけではなく、二人のちがいも見えてくる。

 チラシ(↑)に使われた作品は、上がボーシャンの「川辺の花瓶の花」(1946)だ。背景はフランスののどかな丘陵地帯だろう。手前に大きな花瓶がある。実際にそこに花瓶があるというよりは、背景の自然と花瓶とのコラージュのように見える。花瓶に活けられた花々は、左右対称というよりも、いくぶん左にかたよっている。そのわずかなアンバランスが画面にリズムを生む。

 下の作品は藤田龍児の「デッカイ家」(1986)だ。画面いっぱいに大きな家が建っている。2羽の白い鳥と3羽の黄色い鳥がいる。デッカイ家をねぐらにしているのだろう。遠くに新しい家々が見える。そこは新興住宅地のようだ。デッカイ家はそこから離れた廃屋だろうか。だれも住まなくなった家。でも、その廃屋は鳥たちの聖域になっている。

 上記の2作品をくらべると、ボーシャンと藤田とのちがいが見えてくる。ボーシャンの場合はひたすら明るく、翳りがない。一方、藤田の作品には、時間の堆積がひそんでいる。堆積された時間は、戦後日本の高度経済成長期と重なる。その時期に失われたもの、あるいは失われかけているものへの郷愁が隠れている。

 二人の作品には現代人の疲れた心を癒すものがある。だが、そのような作品を生んだ二人の人生は、けっして順風満帆ではなかった。ボーシャンは第一次世界大戦に従軍しているあいだに、自身が経営する農園が破産し、妻は精神を病んだ。ボーシャンは妻が1943年に亡くなるまで介護した。妻が亡くなる前年の1942年に描いた「ボーシャン夫人の肖像」には、精神を病んだ老妻がリアルに描かれている。他の作品では人物が類型的な描かれ方をしているのと対照的だ。

 一方、藤田龍児は1976年に脳血栓を発症し、翌年再発した。その結果、右半身不随になり、一度は画業をあきらめた。作品の一部を廃棄もした。しかし3年後に左手で描き始めて再起した。素朴派風の作品が生まれるのはそれ以降だ。
(2022.6.24.東京ステーションギャラリー)

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