Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2022年10月26日 | 音楽
 カンブルランが読響に帰ってきた。3年半ぶりだそうだ。軽い身のこなしは変わっていない。1曲目はドビュッシーの「遊戯」。音の透明感、色彩感、陰影の変化、敏捷さ、洒脱さなど、3年半のブランクを感じさせない。カンブルランはもちろんだが、ブランクをものともしない読響もたいしたものだ。

 2曲目は去る10月7日に亡くなった一柳慧(享年89歳)の遺作「ヴァイオリンと三味線のための二重協奏曲」の初演。ヴァイオリン独奏は成田達輝、三味線独奏は本條秀慈郎。オーケストラは弦楽五部と多数の打楽器という編成。2楽章構成で演奏時間は約18分。

 故人に礼を失しないように気を付けなければならないが、これはなんとも挨拶のしようのない曲だ。三味線の凛とした音色が印象的だった、とだけいっておこう。わたしにとっての一柳慧は、ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」(1983)、交響曲「ベルリン連詩」(1989)あたりで止まっている。それ以降の作品は戸惑うことが多かった。本作ではそれが行きつくところまで行った感がある。

 成田達輝と本條秀慈郎のアンコールがあった。シンプルで甘いメロディーだ。一柳慧の「Farewell to the Summer Light」という曲だそうだ。サントリーホールのホームページでその題名を知ったとき、Farewellという言葉に胸をうたれた。

 3曲目はドビュッシーの「イベリア」。ムードに流されずに克明に譜面を追う演奏だったといえばいえるが、それにしても、音楽の流れに乗りきれないところがある演奏だった。カンブルランと読響ならもっと鮮やかな演奏ができるだろう。1曲目の「遊戯」とくらべても重かった。

 4曲目はヴァレーズの「アルカナ」。巨大編成の衝撃的な音楽だ。その衝撃を言葉にしたいのだが、うまい言葉が見つからない。観念的な言い方になるが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」がもたらした衝撃が、その後の社会情勢もあって、急速に方向転換する中で、突然変異のようにその衝撃がもう一度噴出したような感がある。演奏は鮮烈で、音が少しも混濁しない点が驚異的だった。わたしはヴァレーズの作品では、2008年7月にゲルト・アルブレヒト指揮の読響で「アメリカ」を聴いた記憶が鮮明に残っている。そのときの「アメリカ」と今回の「アルカナ」はわたしのヴァレーズ2大体験だ。

 終演後は拍手が鳴り止まずに、カンブルランのソロ・カーテンコールになった。最近はソロ・カーテンコールも珍しくないが、今回のソロ・カーテンコールは、演奏への賞讃はもちろんのこと、カンブルランとの再会を喜ぶ気持ちも込められていたのではないだろうか。
(2022.10.25.サントリーホール)

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