Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

混沌から砂漠へ、そして大地

2010年07月09日 | 音楽
 7月の読売日響は常任指揮者のカンブルランの登場。プログラムは3種類が組まれた。昨日は2番目のプログラム。
(1)ハイドン:オラトリオ「天地創造」から序奏
(2)ヴァレーズ:砂漠
(3)マーラー:交響曲「大地の歌」(アルト:エカテリーナ・グバノヴァ、テノール:ミヒャエル・ケーニッヒ)

 天地創造の混沌(ハイドン)から、乾いた不毛の砂漠(ヴァレーズ)へ、そして悠久の大地を舞台とする人間と自然の生死のドラマ(マーラー)。いかにもカンブルランらしい刺激的なプログラム。

 ハイドンとヴァレーズは続けて演奏されることが事前に告知されていた。まずはハイドンから。大編成のオーケストラが冒頭の和音の一撃を鳴らすと、引き締まった透明な音が会場を満たした。意志がみなぎった音。構えの大きな演奏がそれに続いた。

 ハイドンが終わると、ヴァレーズ。気迫のこもった演奏だった。ただテープ音楽がカットされて、オーケストラ部分だけをきくのは、正直にいうと、少々辛かった。木管・金管楽器と打楽器とピアノという編成なので、私は途中から、「弦楽器奏者はじっと座って待っていなければならないわけか。気の毒だな」と余計なことを考え始めた。

 ところがヴァレーズが終わると、なんともう一度ハイドンが演奏された。こっそり用意された嬉しい驚きの仕掛けだ。ハイドンがなんの不自然さもなくヴァレーズにつながった。この音楽が初演されたときには、ヴァレーズと同じくらい衝撃的だったろうと思った。同時に、ハイドンに挟まれたヴァレーズの音楽が、蜃気楼のように思い出された。

 「大地の歌」は第1楽章ではオーケストラが咆哮し、テノールの声が埋もれがちだったが、容赦なかった。嵐のように猛り狂った心象風景を描くためには、一切手加減しないということか。第2楽章では一転して薄く透明なオーケストラのテクスチュアに、アルトが太く豊かな声を乗せていた。テノールも第3楽章、第5楽章では十分にききとれた。

 第6楽章は第2楽章と同様、薄く透明なオーケストレイションだが、そこに明滅するエピソードがより深い意味をもってくる。約30分もかかる音楽を一気にきかせてしまうマーラーの力量は恐ろしいくらいだ。昨日は、ヴァレーズがこの音楽を逆照射して、その斬新性を意識させているように感じた。

 カンブルラン指揮の読売日響の演奏には底知れぬ緊張感があった。硬質で、色彩感があり、もたれず、エッジのたった演奏。その集中力は並みのものではなかった。
(2010.7.8.サントリーホール)

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