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樋田毅(ひだ・つよし)氏の「彼は早稲田で死んだ」を読んだ。1972年11月8日に早稲田大学第一文学部2年生だった川口大三郎君(後述するが、わたしは川口君と同学年だ)がキャンパス内で革マル派のリンチにより殺された事件と、その事件を契機に起きた自治会執行部から革マル派を排除して新たな執行部を作ろうとした運動の回想録だ。
著者の樋田氏は当時同学部の1年生で、その運動のリーダー格だった。わたしは2年生で、クラスはちがうが、川口君と同学年だった。わたしは運動に積極的に関わったわけではないが(そのことにたいする後ろめたさがある)、学部を揺るがす大事件だったので、激動の渦中にいた。樋田氏は本書の中で、当時のご自身を、長髪で髭をはやしていたと書かれているので、「あの人かな」とおぼろげながら思い出す。
本書は7章で構成されている。そのうちの第1章から第4章までは上記の事件と運動を描いている。生々しいルポルタージュだ。当時の記憶がよみがえる。とても当時から50年近くたったとは思えない克明な筆致だ。膨大な資料にもとづく記述であることは容易に想像がつくが、それ以上にリーダー格として運動の中心にいた樋田氏の脳裏には、当時の出来事が深く刻みこまれているのだろう。
わたしはその運動の中にはいなかった。運動から距離を置くノンポリ学生のひとりだった。とくに運動が文学部キャンパスでは困難になり、本部キャンパスに移ってからは、集会にも出なくなった。本書はそんな当時のわたしを告発する。
第5章では川口君の事件から離れる。第6章と第7章で川口君の事件に戻り、50年近くたったいま、樋田氏が当時の革マル派の活動家たちに会い、「なぜあのようなことをしたのか」、「当時なにを考えていたのか」、「いまはどう思うか」と問う。事件当時第一文学部自治会委員長だった田中敏夫氏はすでに亡くなっていた。未亡人の話によると、同氏は事件のことを語りたがらず、郷里でひっそり暮らしたようだ。
当時書記長でリンチ殺人事件の実行犯のひとりだったSさんは、2度のインタビューに応じたが、最終的にはインタビューの公表を拒んだ。「川口君のご遺族や関係者の気持ちを思うと、加害者である自分の発言を表に出すべきではない」という趣旨の丁寧な手紙が樋田氏に届いたそうだ。
一方、当時副委員長で、その後大学教授、思想家、環境運動家として活動する大岩圭之助氏(ペンネーム「辻信一」氏)は、樋田氏との対談に応じ、「理屈で説明したら噓になる。責任を取れるようなものではない」という趣旨の発言をした。あるところから先は考えない割り切った発言のように思う。田中敏夫氏やSさんに窺える心情とは対照的だ。
著者の樋田氏は当時同学部の1年生で、その運動のリーダー格だった。わたしは2年生で、クラスはちがうが、川口君と同学年だった。わたしは運動に積極的に関わったわけではないが(そのことにたいする後ろめたさがある)、学部を揺るがす大事件だったので、激動の渦中にいた。樋田氏は本書の中で、当時のご自身を、長髪で髭をはやしていたと書かれているので、「あの人かな」とおぼろげながら思い出す。
本書は7章で構成されている。そのうちの第1章から第4章までは上記の事件と運動を描いている。生々しいルポルタージュだ。当時の記憶がよみがえる。とても当時から50年近くたったとは思えない克明な筆致だ。膨大な資料にもとづく記述であることは容易に想像がつくが、それ以上にリーダー格として運動の中心にいた樋田氏の脳裏には、当時の出来事が深く刻みこまれているのだろう。
わたしはその運動の中にはいなかった。運動から距離を置くノンポリ学生のひとりだった。とくに運動が文学部キャンパスでは困難になり、本部キャンパスに移ってからは、集会にも出なくなった。本書はそんな当時のわたしを告発する。
第5章では川口君の事件から離れる。第6章と第7章で川口君の事件に戻り、50年近くたったいま、樋田氏が当時の革マル派の活動家たちに会い、「なぜあのようなことをしたのか」、「当時なにを考えていたのか」、「いまはどう思うか」と問う。事件当時第一文学部自治会委員長だった田中敏夫氏はすでに亡くなっていた。未亡人の話によると、同氏は事件のことを語りたがらず、郷里でひっそり暮らしたようだ。
当時書記長でリンチ殺人事件の実行犯のひとりだったSさんは、2度のインタビューに応じたが、最終的にはインタビューの公表を拒んだ。「川口君のご遺族や関係者の気持ちを思うと、加害者である自分の発言を表に出すべきではない」という趣旨の丁寧な手紙が樋田氏に届いたそうだ。
一方、当時副委員長で、その後大学教授、思想家、環境運動家として活動する大岩圭之助氏(ペンネーム「辻信一」氏)は、樋田氏との対談に応じ、「理屈で説明したら噓になる。責任を取れるようなものではない」という趣旨の発言をした。あるところから先は考えない割り切った発言のように思う。田中敏夫氏やSさんに窺える心情とは対照的だ。