大和の沈んだ海で内田真喜子(鈴木京香)が義父に代わって言う。
「ただいま戻りました。今まで生かしてくれてありがとう」
その言葉に救われる神尾克己(仲代達矢)。
というのは神尾は60年間自分だけが生き残って来たことに罪の意識を持って来たからだ。
大和の沈んだ海に行けなかったのも死んでいった仲間に顔向けができなかったから。
仲間たちを始め、自分は誰をも守ることが出来なかったから。
だが、真喜子の言葉で彼は救われた。
「神尾は仲間たちに生かされたのだ。自分は仲間たちに生きることを託された」
そう思えた時に神尾は救われた。
「大和の沈んだ海で仲間たちは神尾が生きていることを喜んでいる」
そう思うことが死んでいった仲間たちに応えることだと認識した。
この作品、ラストはこうした救いが描かれるが、全編を通して描かれるのは、「戦争の悲惨・不条理」である。
以下、それを思いつくままに書いていく。
□大和が沖縄に特攻に行くことにこんな議論が巻き起こる。
片道の燃料、飛行機の護衛なし。
しかも海軍の上層部は現場におもむき、自分でその作戦の指揮をとろうとしない。
そんな戦争は犬死にではないかと言う兵士たち。
兵士たちは臆病風に吹かれたのではなく、真剣に国を父や母や子を守りたいと思っている。
ただ、失敗の可能性の高い、失敗すれば敵に大した打撃を与えることの出来ない作戦に参加するのは無意味だと言っているのだ。どうせ死ぬなら敵に有効な打撃を与える作戦で死にたいと考えているのだ。
この意見に対しての反論はこう。
「1億玉砕の先陣をきるのが我々だ。我々が玉砕して手本となる」
「玉砕して日本国民が何たるかを示す」
ここには合理主義と精神論のせめぎ合いがある。
この議論に対し、臼淵大尉(長嶋一茂)は言う。
日本を救うには「破れて目覚める」しかない。
これは精神論への批判。
行き過ぎた精神論に警鐘を鳴らし、合理主義で生きることを後世の人間に伝えるために死んでいくのだという理屈。
人は死に臨んで意味を求める。
そして何かにすがらなければ死にに行くことなど出来ない。
それゆえにひねり出された言葉だが、いずれにしても撤退して生きるという選択肢はない。
実につらい議論。
□同じ臼淵大尉のエピソード。
彼は特年兵に「死に方用意」の仕方を教える。
それは故郷にいる家族に今の自分の想いを伝えること。
泣いてもいいと語る臼淵。
海軍軍人はかくあらねばならぬという鎧を捨て、泣きながら家族に別れを告げる兵士たち。
実につらい。
□そして母たち。
玉木ツネ(高畑淳子)は息子にぼた餅を持ってくる。
砂糖の配給が少ないからと言い訳するが、息子がひとつ美味しそうに食べるともっと食べろと進める。
息子が特攻に行く時は軍人の母として立派に見送るが、息子が背を向けて歩き出すと母親に戻って息子を抱きしめる。
そして軍人の母とは正反対のメッセージを言う。
「生きて帰ってこい」
しかし、息子は戦死してしまう。
西サヨ(余貴美子)は息子の送ってくれた金で小さな田んぼを買った。
息子は田んぼの金を稼ぐために戦争に行った。
息子といっしょに田植えをすることを望んでいる母親。
その息子はやはり戦死してしまう。
神尾スエ(白石加代子)は夫が帰ってきた時のことを考えて漁師の舟を手入れしている。
しかし、戦争は夫もスエの長男も奪う。
残ったのは克己。
克己と克己の同級生の野崎妙子(蒼井優)を結婚させたいスエは、妙子の身代わりとなって米機の機銃を受けて死ぬ。
息子が生きることを、息子の幸せを何よりも望んでいる母たちから息子を奪ってしまう不条理と悲惨。
□そして妙子の物語。
スエの命を賭して生き延びた妙子だったが、原爆で命を落としてしまう。
克己がやって来た時にはまだ息があって、お守りの効力をなどを語り克己の帰還を喜ぶが、それも束の間。
「いっしょに働いて舟を買おう。舟の名前は『明日香丸』と決めているんだよ」と言って息を引き取ってしまう。
スエの命が託され、明日への希望を持ち続けた少女が死んでしまうというこの悲惨と不条理。
「男たちの大和」はこうした「戦争の悲惨と不条理」を描いている。
兵士たちは決してヒーローとして死ぬことを望んでいない。
免れられない死を前に何とか自分が死んでいく意味を見出そうとしてもがき、日本の軍人として死ぬこととひとりの人間として生きたいという気持ちが常に葛藤している。
そんな彼らが迷いながらも勇気を振り絞って戦い、虫けらの様に何の干渉もなく殺されていくから、なお悲惨になる。
そこには戦争の英雄はいない。
また、母たちは息子たちの幸福な未来を望んでいるにもかかわらず、生命を奪っていく。
恋人は恋人との未来を夢見て死んでいく。
★研究ポイント
テーマ:戦争の悲惨と不条理
★キャラクター研究
生か?死か?葛藤しながら死んでいく人間たち。
自分の死を意味づけるために何とか言葉を作り出して死んでいく人間たち。
息子の幸福を願い、命をも投げ出す母親。
死んでいく息子を少しでも喜ばせてあげたいとぼた餅を与える母親。
恋人との未来を夢見て死んでいく恋人。
内田二等兵曹も合理主義者。
精神棒で尻の骨を打たれて怒り出す。
精神論より骨を砕かれて戦えなくなることの方が大事なのだ。
そんな合理主義者の彼が仲間と共に死にたくて特攻する大和に乗る。
この自己矛盾。
しかし、それが人間だ。
★名シーン
克己の戦友で絵の名人・西が妙子の絵を描く。
西は絵を描きながら「克己はいつも妙子のことをべっぴんだと話している」という話を妙子にする。
それを慌てて否定する克己。
妙子は恥ずかしくて嬉しい。
死んでいく妙子。
舟の名を「明日香丸」と名づけることまで考えていた。
彼女は口には出さなかったが、克己との子供の名前もあれこれ考えていたのではないか。
悲惨な現実の中で、それが唯一彼女が幸せでいられる瞬間であったから。
★追記
「武士道とは、死を恐れずして死ぬこと。士道とは、死を覚悟して生き抜くこと」
佐藤純彌監督のインタビューより
「愛するものを守りたいのなら、戦争をしない事、戦争をしないためにはどうしたらいいか、それを考えなければいけない」
石原慎太郎・東京都知事の雑誌のインタビュー
「今の日本人はブヨブヨに膨れ上がり、中身はすっからかん」
※確かに作品の中で描かれていた神尾たち少年兵と比べると、その通りだけれど……。
「ただいま戻りました。今まで生かしてくれてありがとう」
その言葉に救われる神尾克己(仲代達矢)。
というのは神尾は60年間自分だけが生き残って来たことに罪の意識を持って来たからだ。
大和の沈んだ海に行けなかったのも死んでいった仲間に顔向けができなかったから。
仲間たちを始め、自分は誰をも守ることが出来なかったから。
だが、真喜子の言葉で彼は救われた。
「神尾は仲間たちに生かされたのだ。自分は仲間たちに生きることを託された」
そう思えた時に神尾は救われた。
「大和の沈んだ海で仲間たちは神尾が生きていることを喜んでいる」
そう思うことが死んでいった仲間たちに応えることだと認識した。
この作品、ラストはこうした救いが描かれるが、全編を通して描かれるのは、「戦争の悲惨・不条理」である。
以下、それを思いつくままに書いていく。
□大和が沖縄に特攻に行くことにこんな議論が巻き起こる。
片道の燃料、飛行機の護衛なし。
しかも海軍の上層部は現場におもむき、自分でその作戦の指揮をとろうとしない。
そんな戦争は犬死にではないかと言う兵士たち。
兵士たちは臆病風に吹かれたのではなく、真剣に国を父や母や子を守りたいと思っている。
ただ、失敗の可能性の高い、失敗すれば敵に大した打撃を与えることの出来ない作戦に参加するのは無意味だと言っているのだ。どうせ死ぬなら敵に有効な打撃を与える作戦で死にたいと考えているのだ。
この意見に対しての反論はこう。
「1億玉砕の先陣をきるのが我々だ。我々が玉砕して手本となる」
「玉砕して日本国民が何たるかを示す」
ここには合理主義と精神論のせめぎ合いがある。
この議論に対し、臼淵大尉(長嶋一茂)は言う。
日本を救うには「破れて目覚める」しかない。
これは精神論への批判。
行き過ぎた精神論に警鐘を鳴らし、合理主義で生きることを後世の人間に伝えるために死んでいくのだという理屈。
人は死に臨んで意味を求める。
そして何かにすがらなければ死にに行くことなど出来ない。
それゆえにひねり出された言葉だが、いずれにしても撤退して生きるという選択肢はない。
実につらい議論。
□同じ臼淵大尉のエピソード。
彼は特年兵に「死に方用意」の仕方を教える。
それは故郷にいる家族に今の自分の想いを伝えること。
泣いてもいいと語る臼淵。
海軍軍人はかくあらねばならぬという鎧を捨て、泣きながら家族に別れを告げる兵士たち。
実につらい。
□そして母たち。
玉木ツネ(高畑淳子)は息子にぼた餅を持ってくる。
砂糖の配給が少ないからと言い訳するが、息子がひとつ美味しそうに食べるともっと食べろと進める。
息子が特攻に行く時は軍人の母として立派に見送るが、息子が背を向けて歩き出すと母親に戻って息子を抱きしめる。
そして軍人の母とは正反対のメッセージを言う。
「生きて帰ってこい」
しかし、息子は戦死してしまう。
西サヨ(余貴美子)は息子の送ってくれた金で小さな田んぼを買った。
息子は田んぼの金を稼ぐために戦争に行った。
息子といっしょに田植えをすることを望んでいる母親。
その息子はやはり戦死してしまう。
神尾スエ(白石加代子)は夫が帰ってきた時のことを考えて漁師の舟を手入れしている。
しかし、戦争は夫もスエの長男も奪う。
残ったのは克己。
克己と克己の同級生の野崎妙子(蒼井優)を結婚させたいスエは、妙子の身代わりとなって米機の機銃を受けて死ぬ。
息子が生きることを、息子の幸せを何よりも望んでいる母たちから息子を奪ってしまう不条理と悲惨。
□そして妙子の物語。
スエの命を賭して生き延びた妙子だったが、原爆で命を落としてしまう。
克己がやって来た時にはまだ息があって、お守りの効力をなどを語り克己の帰還を喜ぶが、それも束の間。
「いっしょに働いて舟を買おう。舟の名前は『明日香丸』と決めているんだよ」と言って息を引き取ってしまう。
スエの命が託され、明日への希望を持ち続けた少女が死んでしまうというこの悲惨と不条理。
「男たちの大和」はこうした「戦争の悲惨と不条理」を描いている。
兵士たちは決してヒーローとして死ぬことを望んでいない。
免れられない死を前に何とか自分が死んでいく意味を見出そうとしてもがき、日本の軍人として死ぬこととひとりの人間として生きたいという気持ちが常に葛藤している。
そんな彼らが迷いながらも勇気を振り絞って戦い、虫けらの様に何の干渉もなく殺されていくから、なお悲惨になる。
そこには戦争の英雄はいない。
また、母たちは息子たちの幸福な未来を望んでいるにもかかわらず、生命を奪っていく。
恋人は恋人との未来を夢見て死んでいく。
★研究ポイント
テーマ:戦争の悲惨と不条理
★キャラクター研究
生か?死か?葛藤しながら死んでいく人間たち。
自分の死を意味づけるために何とか言葉を作り出して死んでいく人間たち。
息子の幸福を願い、命をも投げ出す母親。
死んでいく息子を少しでも喜ばせてあげたいとぼた餅を与える母親。
恋人との未来を夢見て死んでいく恋人。
内田二等兵曹も合理主義者。
精神棒で尻の骨を打たれて怒り出す。
精神論より骨を砕かれて戦えなくなることの方が大事なのだ。
そんな合理主義者の彼が仲間と共に死にたくて特攻する大和に乗る。
この自己矛盾。
しかし、それが人間だ。
★名シーン
克己の戦友で絵の名人・西が妙子の絵を描く。
西は絵を描きながら「克己はいつも妙子のことをべっぴんだと話している」という話を妙子にする。
それを慌てて否定する克己。
妙子は恥ずかしくて嬉しい。
死んでいく妙子。
舟の名を「明日香丸」と名づけることまで考えていた。
彼女は口には出さなかったが、克己との子供の名前もあれこれ考えていたのではないか。
悲惨な現実の中で、それが唯一彼女が幸せでいられる瞬間であったから。
★追記
「武士道とは、死を恐れずして死ぬこと。士道とは、死を覚悟して生き抜くこと」
佐藤純彌監督のインタビューより
「愛するものを守りたいのなら、戦争をしない事、戦争をしないためにはどうしたらいいか、それを考えなければいけない」
石原慎太郎・東京都知事の雑誌のインタビュー
「今の日本人はブヨブヨに膨れ上がり、中身はすっからかん」
※確かに作品の中で描かれていた神尾たち少年兵と比べると、その通りだけれど……。