第21回「開運の馬」
今回は千代(仲間由紀恵)が可哀想だった。
夫・一豊(上川隆也)の喜ぶ顔が見たくて叔父から託された十両を見せた千代。
ところが一豊は怒り出す。
「情の強いおなごよ。小賢し過ぎる」
「心が何室にもわかれていて、玄関からは見通せぬ」
お金のことで苦労してきた一豊と千代。
自分と千代は苦労を分かち合う一心同体だと思っていた。
ところが千代は十両のことを黙っていて相談もせず、自分で判断してその使い方を考えた。
それが一豊には許せないのだ。
一豊は言う。
「高みにおいてわしを見下しているのではないか?」
自分以上に思慮のある年下の妻に劣等感を抱いていた一豊。
それが怒りに繋がった。
千代や家のために懸命に働いてきた夫のプライドもある。
冒頭、一豊が千代に扇を買ってやろうとするシーンがあるが、千代が一豊に何かを買ってあげるのではなく、自分が千代に買ってあげるのが夫のプライドだ。
それが一豊の怒りを強くした。
一方、千代は哀しい。
ただ、夫の喜ぶ顔が見たいだけなのに。
十両を託した叔父、叔母の思いもある。
叔父は十両のお金を一豊に見せた時、ふたりが手を取り合って喜ぶ姿を思い描いていたでろう。
それがこんな哀しいことになってしまうなんて。
山内家のお方様として立派になった千代もここは少女の千代に戻る。
大泣きする。
「旦那様の夢はおのれの夢。妻という形で夫と共に乱世を戦っていきたい」
千代に泣かれれば一豊も弱い。
なだめて、言い訳して、謝って、馬を買いにいく。
このうろたえ方が千代を愛している証拠。
この場面を単に「ありがとう」と言ってもらったのでは、これほど伝わらない。
想いが裏切られて千代が哀しみ、千代の想いがわかって一豊が謝ったから、いいドラマになった。
今回のもうひとつのドラマは濃(和久井映見)。
人を捨て神になった夫・信長(舘ひろし)。
諫言も聞き入れられず、織田家に居場所がなくなったと考える濃。
光秀(坂東三津五郎)にも拒まれた。
濃は光秀に言う。
「(光秀と夫婦になった)夢を描いてみることも許されませぬのか?」
「やり直せぬのが人の定めにございます」
すべてに絶望した濃は織田家を出る。
そこで千代と関わる。
馬をめぐっての千代と一豊の会話を聞いて、かつての自分たちのことを思い出す。
自分たちも昔はふたりして夢を追ったのではなかったか?
千代たちに力をもらった濃は城に戻り、馬を信長に見せに来た一豊夫婦にその礼として砂金を渡した。
この濃の物語。
これも絶望から一縷の希望を見出したからドラマになった。
その希望はまた絶望に変わるものなのだけれど。
砂金を渡されて意味がわからない一豊とお方様と知って驚く千代の顔は面白く、ユーモアのあるいいシーンになった。
★研究ポイント
ドラマの作り方:喜びと悲しみ、絶望と希望、この両方の感情を盛り込む。
千代と濃の物語を掛け合わせる。
★キャラクター研究:千代
千代ははつらつとした少女のような面を持っている。
安土の町で人々といっしょに踊り、町をいっしょに歩けるだけで嬉しいという。
扇をプレゼントされようとすると、「目で楽しむだけで十分」と言う。
しかし、自分をほったらかして馬市に一豊が行くとふくれる。
信長に相対した時、大きな声で「はい」と答えてしまう。
それでいて、思慮がある。
★名セリフ
馬がほしい一豊が言う。
「夢のような話じゃ。笑えば済む」
大声を出して笑う一豊と千代。
※こうやって笑えば幸せ。強欲にとらわれることもない。
★名シーン
光秀の夢。
眠っている信長を刺そうとする光秀。
信長はカッと目を開け、「お濃はそちにくれてやるわ」と言う。
★追記
今回の物語を原作と読み比べてみた。
原作では千代の涙を千代が意識してやったものとしている。
怒った一豊に千代は考える。
「泣くにかぎるわ、理屈を言わないで」
機嫌をとろうとする一豊に
「この辺でかんべんしてやろうかしら」
夫操縦術だ。
こうも書かれている。
「さんざん泣くと、やっとおさまってきて、今度は笑いがこみあげてきた。背中が笑いでふるえている」
原作の司馬遼太郎さんは、夫を手の上に乗せて出世させた妻として千代を描いている。
この点では純粋さを残した大石静さんの千代の方がテレビドラマ向き。
だが、「夫の名を高めるために馬を買った」という後のエピソードという点では司馬さんの千代の方が説得力がある。
★追記2
信長の狂気はいよいよ激しく。
自分を祀った寺を造り言う。
「天がわしに命ずるのだ。天がこの信長を生かしておるのじゃ。この刀で刺してみよ」
今回は千代(仲間由紀恵)が可哀想だった。
夫・一豊(上川隆也)の喜ぶ顔が見たくて叔父から託された十両を見せた千代。
ところが一豊は怒り出す。
「情の強いおなごよ。小賢し過ぎる」
「心が何室にもわかれていて、玄関からは見通せぬ」
お金のことで苦労してきた一豊と千代。
自分と千代は苦労を分かち合う一心同体だと思っていた。
ところが千代は十両のことを黙っていて相談もせず、自分で判断してその使い方を考えた。
それが一豊には許せないのだ。
一豊は言う。
「高みにおいてわしを見下しているのではないか?」
自分以上に思慮のある年下の妻に劣等感を抱いていた一豊。
それが怒りに繋がった。
千代や家のために懸命に働いてきた夫のプライドもある。
冒頭、一豊が千代に扇を買ってやろうとするシーンがあるが、千代が一豊に何かを買ってあげるのではなく、自分が千代に買ってあげるのが夫のプライドだ。
それが一豊の怒りを強くした。
一方、千代は哀しい。
ただ、夫の喜ぶ顔が見たいだけなのに。
十両を託した叔父、叔母の思いもある。
叔父は十両のお金を一豊に見せた時、ふたりが手を取り合って喜ぶ姿を思い描いていたでろう。
それがこんな哀しいことになってしまうなんて。
山内家のお方様として立派になった千代もここは少女の千代に戻る。
大泣きする。
「旦那様の夢はおのれの夢。妻という形で夫と共に乱世を戦っていきたい」
千代に泣かれれば一豊も弱い。
なだめて、言い訳して、謝って、馬を買いにいく。
このうろたえ方が千代を愛している証拠。
この場面を単に「ありがとう」と言ってもらったのでは、これほど伝わらない。
想いが裏切られて千代が哀しみ、千代の想いがわかって一豊が謝ったから、いいドラマになった。
今回のもうひとつのドラマは濃(和久井映見)。
人を捨て神になった夫・信長(舘ひろし)。
諫言も聞き入れられず、織田家に居場所がなくなったと考える濃。
光秀(坂東三津五郎)にも拒まれた。
濃は光秀に言う。
「(光秀と夫婦になった)夢を描いてみることも許されませぬのか?」
「やり直せぬのが人の定めにございます」
すべてに絶望した濃は織田家を出る。
そこで千代と関わる。
馬をめぐっての千代と一豊の会話を聞いて、かつての自分たちのことを思い出す。
自分たちも昔はふたりして夢を追ったのではなかったか?
千代たちに力をもらった濃は城に戻り、馬を信長に見せに来た一豊夫婦にその礼として砂金を渡した。
この濃の物語。
これも絶望から一縷の希望を見出したからドラマになった。
その希望はまた絶望に変わるものなのだけれど。
砂金を渡されて意味がわからない一豊とお方様と知って驚く千代の顔は面白く、ユーモアのあるいいシーンになった。
★研究ポイント
ドラマの作り方:喜びと悲しみ、絶望と希望、この両方の感情を盛り込む。
千代と濃の物語を掛け合わせる。
★キャラクター研究:千代
千代ははつらつとした少女のような面を持っている。
安土の町で人々といっしょに踊り、町をいっしょに歩けるだけで嬉しいという。
扇をプレゼントされようとすると、「目で楽しむだけで十分」と言う。
しかし、自分をほったらかして馬市に一豊が行くとふくれる。
信長に相対した時、大きな声で「はい」と答えてしまう。
それでいて、思慮がある。
★名セリフ
馬がほしい一豊が言う。
「夢のような話じゃ。笑えば済む」
大声を出して笑う一豊と千代。
※こうやって笑えば幸せ。強欲にとらわれることもない。
★名シーン
光秀の夢。
眠っている信長を刺そうとする光秀。
信長はカッと目を開け、「お濃はそちにくれてやるわ」と言う。
★追記
今回の物語を原作と読み比べてみた。
原作では千代の涙を千代が意識してやったものとしている。
怒った一豊に千代は考える。
「泣くにかぎるわ、理屈を言わないで」
機嫌をとろうとする一豊に
「この辺でかんべんしてやろうかしら」
夫操縦術だ。
こうも書かれている。
「さんざん泣くと、やっとおさまってきて、今度は笑いがこみあげてきた。背中が笑いでふるえている」
原作の司馬遼太郎さんは、夫を手の上に乗せて出世させた妻として千代を描いている。
この点では純粋さを残した大石静さんの千代の方がテレビドラマ向き。
だが、「夫の名を高めるために馬を買った」という後のエピソードという点では司馬さんの千代の方が説得力がある。
★追記2
信長の狂気はいよいよ激しく。
自分を祀った寺を造り言う。
「天がわしに命ずるのだ。天がこの信長を生かしておるのじゃ。この刀で刺してみよ」