「華麗なる一族」第5話のお見事なシーンをふたつ。
まずは高須相子(鈴木京香)をめぐる万俵気の女たちの群像。
寧子(原田美枝子)と話をしている銀平の妻・万樹子(山田 優)。
万樹子は「綺麗な蘭ですね」と寧子に言う。
寧子は「蘭の世話ぐらいしかできないから」と返す。
万樹子は3つのベッドから並んでいる大介(北大路欣也)の寝室を見てしまう。
そこへやって来る相子。
万樹子が寝室を見たことを責める。口外するなと言われる。
「妾が偉そうなことを」と相子に返す万樹子。
そこへやって来る寧子。言い合いを収めるが、「あなたが鍵を掛け忘れたからこんなことになる。あなたのおかげで苦労ばっかり」と相子に非難される。
一方、万樹子は階下に降りてきて、鉄平(木村拓哉)の妻・早苗(長谷川京子)とすれ違う。早苗は、万樹子の様子がおかしいので階上に行ってみると相子がいる。
そこで早苗は相子に言われる。
「大川先生がなくなって、あなたは万俵家で意味がなくなったお荷物。捨てられない様にしなさい」
女たちの確執を万俵家の1階と2階、人物の出入りだけを使って一場面で表現している。
まるで舞台の演劇を見ている様。
こんな演劇的表現を映像ドラマで久しぶりに見た。
この様な演劇的手法を使わなければ、これらの人物を描き切ることなど出来ないのだろうが。
その他にも鉄平と芙佐子(稲森いずみ)とのことを相子が話すシーンも演劇的だった。
鉄平と話す相子。
部屋は直角に折れ曲がっていて鉄平の角度から早苗がいることはわからない。
相子は早苗がいることを知りながら芙佐子とのことを鉄平に話す。早苗の動揺を愉しみながら。
この直角に折れ曲がった部屋というのが演劇的だ。舞台装置がドラマを作っている。
見ている者は舞台を観ている様な感じを受ける。
もうひとつのシーンは逆にすごく映像的。
父・大介が大川の裏献金をリークした人物だと知ってしまった鉄平。
キジ撃ちで山野を駆けめぐるが、心の中は大介への怒り。
「リークした人物がわかったら、その人物を殺します」「義父さん(大川)の無念を晴らします」といったシーンがカットバックされ、鉄平の怒りを表現する。
しかし実際に人を殺すことなど出来ない。まして大介は父親だ。
その怒りがキジに向けられる。
怒りで銃を撃つ。
しかしミス。弾丸は木に跳ね返り、木々の間から頭から血を流した大介が出て来る。
これは映像でなければ表現できない描写。
回想のカットバック。
キジに怒りをぶつける鉄平。
跳ね返った弾丸。
血を流して出て来る大介。
これらのカットの積み重ねがドラマを作る。
演劇的なものと映像的なもの。
この両方で描かれる「華麗なる一族」は実に見応えがある。
★追記
相子に「お荷物」呼ばわりされた早苗のせりふがいい。
「わたしや父は万俵家にとって何だったのか? それが哀しい」
死んで、人は自分の人生の意味を考える。
自分の人生は「用がなくなれば捨てられる道具」の様な人生だったと言われるのは一番つらいことだろう。
一方、相子も。
相子の幸せは万俵家の繁栄・大介の成功。
「彼のためだったら何でもできる。他の女に真似のできないことをやる特別な人生を選んだ」
普通の幸せや家庭を否定した相子の覚悟が読み取れる。(その前に相子がデパートの入口で子供にぶつかるシーン。弟夫婦に出会うシーンがあった)
それはそれで凄まじい生き方。
それを人に押しつけるのはどうかと思うが。
まずは高須相子(鈴木京香)をめぐる万俵気の女たちの群像。
寧子(原田美枝子)と話をしている銀平の妻・万樹子(山田 優)。
万樹子は「綺麗な蘭ですね」と寧子に言う。
寧子は「蘭の世話ぐらいしかできないから」と返す。
万樹子は3つのベッドから並んでいる大介(北大路欣也)の寝室を見てしまう。
そこへやって来る相子。
万樹子が寝室を見たことを責める。口外するなと言われる。
「妾が偉そうなことを」と相子に返す万樹子。
そこへやって来る寧子。言い合いを収めるが、「あなたが鍵を掛け忘れたからこんなことになる。あなたのおかげで苦労ばっかり」と相子に非難される。
一方、万樹子は階下に降りてきて、鉄平(木村拓哉)の妻・早苗(長谷川京子)とすれ違う。早苗は、万樹子の様子がおかしいので階上に行ってみると相子がいる。
そこで早苗は相子に言われる。
「大川先生がなくなって、あなたは万俵家で意味がなくなったお荷物。捨てられない様にしなさい」
女たちの確執を万俵家の1階と2階、人物の出入りだけを使って一場面で表現している。
まるで舞台の演劇を見ている様。
こんな演劇的表現を映像ドラマで久しぶりに見た。
この様な演劇的手法を使わなければ、これらの人物を描き切ることなど出来ないのだろうが。
その他にも鉄平と芙佐子(稲森いずみ)とのことを相子が話すシーンも演劇的だった。
鉄平と話す相子。
部屋は直角に折れ曲がっていて鉄平の角度から早苗がいることはわからない。
相子は早苗がいることを知りながら芙佐子とのことを鉄平に話す。早苗の動揺を愉しみながら。
この直角に折れ曲がった部屋というのが演劇的だ。舞台装置がドラマを作っている。
見ている者は舞台を観ている様な感じを受ける。
もうひとつのシーンは逆にすごく映像的。
父・大介が大川の裏献金をリークした人物だと知ってしまった鉄平。
キジ撃ちで山野を駆けめぐるが、心の中は大介への怒り。
「リークした人物がわかったら、その人物を殺します」「義父さん(大川)の無念を晴らします」といったシーンがカットバックされ、鉄平の怒りを表現する。
しかし実際に人を殺すことなど出来ない。まして大介は父親だ。
その怒りがキジに向けられる。
怒りで銃を撃つ。
しかしミス。弾丸は木に跳ね返り、木々の間から頭から血を流した大介が出て来る。
これは映像でなければ表現できない描写。
回想のカットバック。
キジに怒りをぶつける鉄平。
跳ね返った弾丸。
血を流して出て来る大介。
これらのカットの積み重ねがドラマを作る。
演劇的なものと映像的なもの。
この両方で描かれる「華麗なる一族」は実に見応えがある。
★追記
相子に「お荷物」呼ばわりされた早苗のせりふがいい。
「わたしや父は万俵家にとって何だったのか? それが哀しい」
死んで、人は自分の人生の意味を考える。
自分の人生は「用がなくなれば捨てられる道具」の様な人生だったと言われるのは一番つらいことだろう。
一方、相子も。
相子の幸せは万俵家の繁栄・大介の成功。
「彼のためだったら何でもできる。他の女に真似のできないことをやる特別な人生を選んだ」
普通の幸せや家庭を否定した相子の覚悟が読み取れる。(その前に相子がデパートの入口で子供にぶつかるシーン。弟夫婦に出会うシーンがあった)
それはそれで凄まじい生き方。
それを人に押しつけるのはどうかと思うが。