「LOST」には教訓話が多い。
単なるアドベンチャーものではない。
生きる上での力強い言葉が散りばめられていて勇気づけられる。
第7話はミュージシャン・チャーリーの話。
彼はクスリ中毒。
自分の弱さゆえにクスリに手を出し、敬虔なクリスチャンだったがゆえに苦しんでいる。
彼がクスリに手を出した理由は何か?
それは孤独からだ。ミュージシャンとして有名になったものの、認められたのはヴォーカルの兄。チャーリーはベース。バンドは兄で成り立っており、いつでも取り替えはきくと言われた。
自分には居場所がない。必要とされていない。
そんな想いがクスリに手を出させた。
物語はチャーリーが居場所を見出し、クスリを絶つまでが描かれる。
チャーリーは岩盤の下に閉じこめられたジャックを救うのだ。暗く狭い穴の中を進みジャックのいる所までたどり着く。「おまえならできる」とジャックに言われて(ジャックに信頼されて)、ジャックのはずれた肩をもとに戻す。蛾が飛んでくるのを見て、どこかに通路があるのに気づき、掘って穴の外に出る。
人は人に必要とされる時、自分自身を取り戻す。
チャーリーはジャックのために動き、ジャックに必要とされることでクスリを絶つことが出来た。
チャーリーがロックに言われた言葉もいい。
ロックは飛んできた蛾を見て言う。
「繭の中の蛾は外に出ようと必死でもがいている。殻を突き破ろうと思っている。自分(ロック)は繭の殻を壊して蛾を外に出してやることができるが、それをしない。なぜなら、もがくことで蛾は生きる力を得るからだ」
第8話はソーヤの話。
ここでもチャーリーのテーマの変奏で「人間はひとりで生きるのではない」「人には人が必要だ」ということを描き出す。
ソーヤは苦しみを抱えている。
彼が問題を起こしてみんなに疎まれようとするのは、その過去に起因している。
彼の両親は詐欺師に騙され、悲惨な形で死んだ。
彼はその詐欺師を恨んでいる。子供の時その恨みと復讐の決意を書いた手紙をいつもポケットに持っている。しかし彼も大人になり、その弱さから人を騙す側になってしまう。
自分が人を騙す人間になっている。
かつて自分が憎んだ人間になっている。
それがソーヤには許せない。ソーヤは自分が嫌いなのだ。
自分が嫌いだから他人も好きになれない。ジャックの献身的行為が偽善に見える。
自分が嫌いだから自分は他人に愛されてはいけないと思う。疎まれて恨まれて他人に殺されるべきだと考えている。
だが、それは他人の愛情を求める心の裏返し。
それが「ケイトがキスをしたらぜんそくの吸引器のありかを教える」という言葉となった。
彼はケイトの愛を求めていたのだ。
自分の傷ついた孤独な心に触れてほしかったのだ。
ケイトにキスされ、同時に自分の過去の傷を理解されて癒されるソーヤ。
「人には人が必要なのだ」ということが伝わってくる。
それは同じ話のこんなふたつのエピソードでも描かれる。
ぜんそくで苦しむシャノンに韓国人女性のサンはユーカリの葉を与える。
サンは夫のこともあり、今までジャックたちに心を開かなかった女性。
そのサンが他人に何かを与えた。
チャーリーはピーナッツバターを欲しがるクレアに空のビンを見せて、「ここにピーナッツバターが入ってるって想像してみろ」と言う。
このサンとチャーリーのエピソードは短い描写だが実にあたたかい。
作劇のテクニックとして次の2点。
★テーマを描くメインエピソードと共にテーマを別の角度から語るせりふを添える。
これは第7話、チャーリー話のロックの蛾のせりふがそう。
★テーマを語るメインのエピソードと共にサブエピソードも添える。
これは第8話、ソーヤ話のチャーリーとサンのエピソードがそう。
「LOST」はメインのエピソードよりも何気ないせりふやサブエピソードの方が魅力的なことが多い。
単なるアドベンチャーものではない。
生きる上での力強い言葉が散りばめられていて勇気づけられる。
第7話はミュージシャン・チャーリーの話。
彼はクスリ中毒。
自分の弱さゆえにクスリに手を出し、敬虔なクリスチャンだったがゆえに苦しんでいる。
彼がクスリに手を出した理由は何か?
それは孤独からだ。ミュージシャンとして有名になったものの、認められたのはヴォーカルの兄。チャーリーはベース。バンドは兄で成り立っており、いつでも取り替えはきくと言われた。
自分には居場所がない。必要とされていない。
そんな想いがクスリに手を出させた。
物語はチャーリーが居場所を見出し、クスリを絶つまでが描かれる。
チャーリーは岩盤の下に閉じこめられたジャックを救うのだ。暗く狭い穴の中を進みジャックのいる所までたどり着く。「おまえならできる」とジャックに言われて(ジャックに信頼されて)、ジャックのはずれた肩をもとに戻す。蛾が飛んでくるのを見て、どこかに通路があるのに気づき、掘って穴の外に出る。
人は人に必要とされる時、自分自身を取り戻す。
チャーリーはジャックのために動き、ジャックに必要とされることでクスリを絶つことが出来た。
チャーリーがロックに言われた言葉もいい。
ロックは飛んできた蛾を見て言う。
「繭の中の蛾は外に出ようと必死でもがいている。殻を突き破ろうと思っている。自分(ロック)は繭の殻を壊して蛾を外に出してやることができるが、それをしない。なぜなら、もがくことで蛾は生きる力を得るからだ」
第8話はソーヤの話。
ここでもチャーリーのテーマの変奏で「人間はひとりで生きるのではない」「人には人が必要だ」ということを描き出す。
ソーヤは苦しみを抱えている。
彼が問題を起こしてみんなに疎まれようとするのは、その過去に起因している。
彼の両親は詐欺師に騙され、悲惨な形で死んだ。
彼はその詐欺師を恨んでいる。子供の時その恨みと復讐の決意を書いた手紙をいつもポケットに持っている。しかし彼も大人になり、その弱さから人を騙す側になってしまう。
自分が人を騙す人間になっている。
かつて自分が憎んだ人間になっている。
それがソーヤには許せない。ソーヤは自分が嫌いなのだ。
自分が嫌いだから他人も好きになれない。ジャックの献身的行為が偽善に見える。
自分が嫌いだから自分は他人に愛されてはいけないと思う。疎まれて恨まれて他人に殺されるべきだと考えている。
だが、それは他人の愛情を求める心の裏返し。
それが「ケイトがキスをしたらぜんそくの吸引器のありかを教える」という言葉となった。
彼はケイトの愛を求めていたのだ。
自分の傷ついた孤独な心に触れてほしかったのだ。
ケイトにキスされ、同時に自分の過去の傷を理解されて癒されるソーヤ。
「人には人が必要なのだ」ということが伝わってくる。
それは同じ話のこんなふたつのエピソードでも描かれる。
ぜんそくで苦しむシャノンに韓国人女性のサンはユーカリの葉を与える。
サンは夫のこともあり、今までジャックたちに心を開かなかった女性。
そのサンが他人に何かを与えた。
チャーリーはピーナッツバターを欲しがるクレアに空のビンを見せて、「ここにピーナッツバターが入ってるって想像してみろ」と言う。
このサンとチャーリーのエピソードは短い描写だが実にあたたかい。
作劇のテクニックとして次の2点。
★テーマを描くメインエピソードと共にテーマを別の角度から語るせりふを添える。
これは第7話、チャーリー話のロックの蛾のせりふがそう。
★テーマを語るメインのエピソードと共にサブエピソードも添える。
これは第8話、ソーヤ話のチャーリーとサンのエピソードがそう。
「LOST」はメインのエピソードよりも何気ないせりふやサブエピソードの方が魅力的なことが多い。