平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

処女の泉

2007年02月20日 | 洋画
 イングマール・ベルイマンの「処女の泉」。

 物語はシンプル、しかし奥が深い。
 教会にロウソクを捧げに行くカーリンは森の中で暴漢3人(ひとりは少年)に襲われる。
 純潔を奪われ、挙げ句の果てに殺されてしまうカーリン。
 そんなカーリンを黙ってみている使用人のインゲリ。
 彼女は自分が見知らぬ男の子供をはらんでお腹を大きくしていることを軽蔑され、カーリンを恨んでいたのだ。彼女は彼女の信仰する邪教オーディーン神に「カーリンに不幸が訪れる」ように祈っていた。
 そして舞台はカーリンの父親のもとに。
 カーリンを襲った暴漢たちは一夜の宿を父親に乞う。
 父親は信仰の厚い人物で、彼らに食事を与え、自分の所で働かないかとさえ言う。
 しかし遺体から奪ったカーリンの服を売ろうとしたことから犯行が発覚。
 父親は転じて彼らに復讐を行い、殺してしまう。
 そして翌日、カーリンの遺体を引き上げに行く父親と家族。
 娘の遺体を目の当たりにして父親は叫ぶ。
「神よ! なぜ罪なき子の死と私の復讐を黙って見つめていたのです?」
 しかし神は黙して語らない。
 父親はなおも言う。
「私は人を殺した罪を償うためにここに教会を建てます」
 すると次の瞬間奇跡が。
 カーリンの遺体のあった場所から泉が流れ始めたのだ。

 この作品は信仰と神の沈黙をテーマにした作品だが、テーマよりもそこで描かれた人間像の方が興味深い。
 まずはカーリンの無邪気な残酷。
 カーリンは恋や可愛い服に憧れる普通の少女なのだが、子供をはらんでお腹の大きいインゲリに言う。
「わたしはそんなふうにはならないわよ。わたしは結婚するまで純潔を守り通すの」
 カーリンにしてみれば無邪気に自分の想いを言った言葉だが、インゲリにはつらい言葉だ。純粋は無知で時に残酷。カーリンにはその言葉の残酷さがわからない。
 この様にカーリンを単なる不幸な被害者として描かなかったことが見事だ。
 そして復讐を行う父親。
 彼は娘の死を知り復讐を行うまで実に静かだ。
 丘の木を倒し、風呂を沸かし沐浴する(木の枝で自分の体を叩く)。
 眠っている暴漢たちのいる部屋に入り、彼らが目を覚ますのを静かに待っている。(殺害に使うナイフをテーブルに刺すシーンが印象的だ)
 普通、復讐のシーンと言うと炎の様に激しいものを思い浮かべるが、ここを静かな沈黙で描いたことは見事だ。眠っている暴漢たちを静かに見つめる父親の目が逆に怖い。

 この様に「処女の泉」は見事な映像ドラマを見せてくれた。
 カーリンの遺体から泉が湧き出たシーンは確かに神聖なものを感じるが、テーマを語るために取ってつけた様な感じも受けてしまう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする