平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

カポーティ

2007年02月27日 | 洋画
 カポーティは自分しか愛せない人間だった。
 この作品はそんな彼の裏切りと罪を描く。

 カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人の殺人事件に興味を持ったカポーティ。
 スミスとヒコックという犯人があがり取材を始める。
 取材の表向きの理由は「彼らがモンスターでないことを証明するため」。
 これはカポーティ自身がその容貌としゃべり方から、人から忌み嫌われモンスター扱いされたコンプレックスから来ている。
 しかし、当初の動機は変わっていく。
 書いていくうちにそのスキャンダラスな内容が彼を魅了するのだ。
 彼は「モンスターでないことを証明するため」でなく「モンスター」を描きたくなる。
 それゆえカポーティが作品につけた名前は「冷血」。
 犯人のヒコックは作品のタイトルは決まったか?と何度も聞く。
 そのたびにカポーティは口を濁す。
 ヒコックはカポーティを信じ、友情を感じている。
 カポーティはヒコックを友人だとは思っていない。自分の作品の道具だと思っている。タイトルが「冷血」であることが知れれば、自分がそう思っていることがバレてしまう。
 ある時、ヒコックは新聞記事か何かで偶然タイトルが「冷血」であることを知ってしまうが、カポーティは問いつめられてこう嘘をつく。
「版元が勝手につけたタイトルで自分は決めていない」

 やがて執筆が進み、カポーティはヒコックらが早く死刑になってほしいと思うようになる。
 「冷血なモンスター」は死刑によって裁かれなくてはならないからだ。
 そうしないと自分の小説は完結しない。
 「冷血」は発表されれば、その後の文学の流れを変える作品だとカポーティは思っている。
 だから早く発表したい。
 友人ネルの作品(「アラバマ物語」)の映画が大ヒットしたことを祝うパーティでカポーティは酔って言う。
「彼らが私を苦しめる」
 彼らとはふたりの犯人のことだ。
 作品のためならすべてを犠牲にする作家のエゴ。
 作品によってあがる自分の名声のためなら、人を裏切れるエゴ。
 刑事からはカポーティこそが「冷血」ではないかと指摘する。

 そしてカポーティがやっと待ち望んだ死刑がやって来る。
 カポーティは最初は躊躇するが、ヒコックの強い要望もあり死刑の場におもむく。
 カポーティに面会したヒコックは最期の最期まで彼を信じていてくれる。
 ヒコックを裏切っていることに罪の意識を感じるカポーティ。
 そして死刑執行……。
 カポーティはその後作品を書くことが出来ず、アルコール中毒で死んでいったという。

 映画は様々なことを教えてくれる。
 罪の意識は人を苛み自滅させる。
 そして作品のためならすべてを犠牲にする作家の業。
 さらに拡大すれば、権力・名声のためなら信じている人も裏切る人間の業。

 それらを教えられて、僕たちは少しはマシに生きられる。
 自分の生き方を正せる。
 これが物語の力であろう。


コメント
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