カポーティは自分しか愛せない人間だった。
この作品はそんな彼の裏切りと罪を描く。
カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人の殺人事件に興味を持ったカポーティ。
スミスとヒコックという犯人があがり取材を始める。
取材の表向きの理由は「彼らがモンスターでないことを証明するため」。
これはカポーティ自身がその容貌としゃべり方から、人から忌み嫌われモンスター扱いされたコンプレックスから来ている。
しかし、当初の動機は変わっていく。
書いていくうちにそのスキャンダラスな内容が彼を魅了するのだ。
彼は「モンスターでないことを証明するため」でなく「モンスター」を描きたくなる。
それゆえカポーティが作品につけた名前は「冷血」。
犯人のヒコックは作品のタイトルは決まったか?と何度も聞く。
そのたびにカポーティは口を濁す。
ヒコックはカポーティを信じ、友情を感じている。
カポーティはヒコックを友人だとは思っていない。自分の作品の道具だと思っている。タイトルが「冷血」であることが知れれば、自分がそう思っていることがバレてしまう。
ある時、ヒコックは新聞記事か何かで偶然タイトルが「冷血」であることを知ってしまうが、カポーティは問いつめられてこう嘘をつく。
「版元が勝手につけたタイトルで自分は決めていない」
やがて執筆が進み、カポーティはヒコックらが早く死刑になってほしいと思うようになる。
「冷血なモンスター」は死刑によって裁かれなくてはならないからだ。
そうしないと自分の小説は完結しない。
「冷血」は発表されれば、その後の文学の流れを変える作品だとカポーティは思っている。
だから早く発表したい。
友人ネルの作品(「アラバマ物語」)の映画が大ヒットしたことを祝うパーティでカポーティは酔って言う。
「彼らが私を苦しめる」
彼らとはふたりの犯人のことだ。
作品のためならすべてを犠牲にする作家のエゴ。
作品によってあがる自分の名声のためなら、人を裏切れるエゴ。
刑事からはカポーティこそが「冷血」ではないかと指摘する。
そしてカポーティがやっと待ち望んだ死刑がやって来る。
カポーティは最初は躊躇するが、ヒコックの強い要望もあり死刑の場におもむく。
カポーティに面会したヒコックは最期の最期まで彼を信じていてくれる。
ヒコックを裏切っていることに罪の意識を感じるカポーティ。
そして死刑執行……。
カポーティはその後作品を書くことが出来ず、アルコール中毒で死んでいったという。
映画は様々なことを教えてくれる。
罪の意識は人を苛み自滅させる。
そして作品のためならすべてを犠牲にする作家の業。
さらに拡大すれば、権力・名声のためなら信じている人も裏切る人間の業。
それらを教えられて、僕たちは少しはマシに生きられる。
自分の生き方を正せる。
これが物語の力であろう。
この作品はそんな彼の裏切りと罪を描く。
カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人の殺人事件に興味を持ったカポーティ。
スミスとヒコックという犯人があがり取材を始める。
取材の表向きの理由は「彼らがモンスターでないことを証明するため」。
これはカポーティ自身がその容貌としゃべり方から、人から忌み嫌われモンスター扱いされたコンプレックスから来ている。
しかし、当初の動機は変わっていく。
書いていくうちにそのスキャンダラスな内容が彼を魅了するのだ。
彼は「モンスターでないことを証明するため」でなく「モンスター」を描きたくなる。
それゆえカポーティが作品につけた名前は「冷血」。
犯人のヒコックは作品のタイトルは決まったか?と何度も聞く。
そのたびにカポーティは口を濁す。
ヒコックはカポーティを信じ、友情を感じている。
カポーティはヒコックを友人だとは思っていない。自分の作品の道具だと思っている。タイトルが「冷血」であることが知れれば、自分がそう思っていることがバレてしまう。
ある時、ヒコックは新聞記事か何かで偶然タイトルが「冷血」であることを知ってしまうが、カポーティは問いつめられてこう嘘をつく。
「版元が勝手につけたタイトルで自分は決めていない」
やがて執筆が進み、カポーティはヒコックらが早く死刑になってほしいと思うようになる。
「冷血なモンスター」は死刑によって裁かれなくてはならないからだ。
そうしないと自分の小説は完結しない。
「冷血」は発表されれば、その後の文学の流れを変える作品だとカポーティは思っている。
だから早く発表したい。
友人ネルの作品(「アラバマ物語」)の映画が大ヒットしたことを祝うパーティでカポーティは酔って言う。
「彼らが私を苦しめる」
彼らとはふたりの犯人のことだ。
作品のためならすべてを犠牲にする作家のエゴ。
作品によってあがる自分の名声のためなら、人を裏切れるエゴ。
刑事からはカポーティこそが「冷血」ではないかと指摘する。
そしてカポーティがやっと待ち望んだ死刑がやって来る。
カポーティは最初は躊躇するが、ヒコックの強い要望もあり死刑の場におもむく。
カポーティに面会したヒコックは最期の最期まで彼を信じていてくれる。
ヒコックを裏切っていることに罪の意識を感じるカポーティ。
そして死刑執行……。
カポーティはその後作品を書くことが出来ず、アルコール中毒で死んでいったという。
映画は様々なことを教えてくれる。
罪の意識は人を苛み自滅させる。
そして作品のためならすべてを犠牲にする作家の業。
さらに拡大すれば、権力・名声のためなら信じている人も裏切る人間の業。
それらを教えられて、僕たちは少しはマシに生きられる。
自分の生き方を正せる。
これが物語の力であろう。