JR篠栗・筑豊線には1997年春の第1次九州遠征時に乗り潰している。この頃はまだ福北ゆたか線という愛称はなく、電化もされていなかった。博多からキハ200系の赤い快速の先頭車にかぶりついて直方まで行き、直方で乗り換えて若松まで乗り潰している。キハ200は気動車にしては素晴らしい車両で、関西線のキハ75系と並んで快速用気動車の傑作と言える。キハ75系は120km/hでがんがん飛ばすイメージがあるが、キハ200系は走る線路が悪いのかそれほど飛ばすイメージがない。今でも大村線の快速シーサイドライナーなどで活躍しているが、あちらの快速も飛ばす快速ではない。鹿児島の快速なのはなも同様だ。宝の持ち腐れの感もあるが、それだけ快速で高速運転する気動車を走らせる余地が九州にはないということだろう。
筑豊と言えば50系レッドトレインの宝庫として国鉄末期などにはファンに有名なところであったが、私が訪れた時には既にその姿はなく、博多~直方間には赤い快速が走り、そのほかではキハ47などが走る路線になっていた。さらに次に訪れた時には電化され、赤い快速の姿はなくなり817系が闊歩し、気動車は折尾~若松間と桂川~原田間に残るのみとなっていた。隔世の感があるとはまさにこのことを言うのだと思う。