JR長崎本線には1997年春の九州遠征の際に鳥栖~長崎間のうち、喜々津~浦上間の旧線を除く全線を乗り潰している。最初に乗ったのはドリームつばめで博多に入り、折り返し朝一のかもめで長崎へ向かった時にとりあえず新線の完乗を果たしている。この時は長崎で宿を探すために朝一で長崎へ入り、宿を見つけてさらに折り返しかもめに乗って博多へ出て、博多から快速で小倉へ移動して、モノレールで小倉競馬場まで行っている。折り返しの際は485系赤いかもめに乗っている。赤いかもめに乗ったのはこれが最初で最後になった。この当時はまだ783系かもめが主流で、肥前山口以西はカーブがきついのでゆっくり走らざるを得なかった。その後競馬場帰りに夕方の博多発のかもめに乗ったが、自由席は立ち客満載の状態で博多を出た。私も乗り継ぎに余裕がなく席にありつけず立ったまま佐賀まで行った。佐賀で空いて席にありつけたが、長崎まで行く人も多くかもめ人気を実感したものだ。
この第1次遠征の帰りに長崎から寝台特急あかつきに乗っている。この時は長崎本線を2往復もしているが、そのうちの片道1回はこのあかつきでの道中となった。ソロ初体験を果たしたが、上段がよかったのに下段しかとれずあまりいい景色ではなかったのを思い出す。また、付属のオーディオも若者向きの音楽はなく、手持ちのMDやCDが挿入できるオーディオシステムならいいのになと思ったものだ。この頃グリーン車などでも航空機を意識してかオーディオや液晶テレビを付ける車両が多かったが、多様化したニーズに応えることができなかったのか、どの車両も中途半端なサービスとなり、今ではほとんど姿を消している。
次に長崎を訪れたのは第2次九州遠征で、この時もまだ783系かもめが主体で、485系赤いかもめも走っていたかもしれないが、私は乗っていない。第3次九州遠征時には885系が既に登場しており、長崎まで885系白いかもめで往復している。この時はグリーン豪遊券だったので行きはグリーン、帰りは試しに自由に乗っている。凝った造りの車両だが、全面展望に関しては783系に比べて後退している感がある。
長崎本線を乗り歩いた…というほどでもないが、普通列車で乗り歩いたのは第5次九州遠征のときだ。九州新幹線の初乗りと肥薩線の乗り直しなどを行い、熊本に泊まり、翌朝三角線の乗り潰しをして、あとはひたすら北上して鳥栖からは長崎本線をひたすら西へ向かい、長崎で速効折り返して大村線~佐世保線と経由して、佐賀からかもめに乗って博多へ戻るという鉄100%の旅をしている。博多からはムーンライト九州で帰阪して、翌朝平日の京阪本線の撮影に出かけているのだから狂人だ。
次に長崎を訪れたのは2006年末の12月16日、17日だ。この時は18きっぷを利用して島原鉄道と松浦鉄道の乗り潰しをしている。長崎本線には普通列車で鳥栖から諫早まで乗り、島原鉄道乗り潰し後に諫早から旧線経由で長崎へ出ている。夜だったので景色は望めなかったが、旧線も長崎市の 住宅地を走っており、本数、利用とも案外多い。大村線と共通運用の気動車で運転される非電化路線だが、将来的には電化してもおかしくない路線と言える。長崎で一泊して翌日は松浦鉄道乗り潰しの前に、長崎本線であかつきの撮影に挑んだ…が天候が悪く当初予定していた小長井近辺での撮影を断念して現川での半端な撮影に終わってしまった。現川であかつきが特急を待避するであろうという予想はしていたが、対向列車との行き違い待ちも含めて20分程度停まるとまでは思いも寄らず撮影は見事に失敗して入線時の画が撮れなかった。さくら亡き後長崎本線唯一のブルトレとなったあかつきだが、終着駅を前に特急待避だけでなく普通列車との行き違いのため長時間停車を強いられるとは朽ち果てたものだ。廃止間際の列車を思わせるダイヤとはこのようなダイヤなのかと思わせる。長崎本線自体将来的には肥前山口~長崎間は新幹線に置き換わってしまうので、在来線特急は実質廃止となる予定だ。寝台特急あかつきはそれ以前に廃止となる可能性が高いが、もう少し何とかならんのかとファンとしては思ってしまう。