EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR北陸本線

2007年05月22日 | 北陸

Hakutyo12  JR北陸本線の乗り潰しは97年夏の北海道遠征時に達成している。この時はいまや貴重な体験をしたと自慢できそうな485系ボンネット白鳥で大阪~青森間を乗り通し、青森から急行はまなすに乗って渡道している。白鳥にはその後、2001年の正月に廃止前の惜別乗車として大阪~福井間に乗車している。大阪~青森間を通して乗ったのは後にも先にも97年夏の北海道遠征の時のみだ。485系ボンネット車は乗っても一般の485系と何ら変わりはないので、ボンネット車に乗ったかどうかはあまり問題ではないが、北海道連絡として由緒あるボンネット車を使用する485系白鳥に乗れたことは後になってよかったと思える。白鳥に乗った時は当然ながら湖西線経由のため、米原~近江塩津間は乗っていないことになる。しかし、同区間はこれより前に国鉄謝恩フリーきっぷで急行きたぐにに乗った時に乗っているので、その時にすでに北陸本線は乗り潰してはいる。但し夜行だったので、米原~近江塩津間の景色は見ていない。近江塩津~直江津間は白鳥乗車時に景色を堪能しているので、この区間は白鳥によって完全に乗り潰したといっても過言ではない。北海道ワイド周遊券で渡道したので白鳥は自由席に乗った。長丁場でモハはやかましいのでクハに乗ったあたり、私は生粋のマニアではないと我ながら思う。本当のマニアなら485系のモータの唸りを聞きながら長丁場を楽しむのではないかと思う。食堂車がない白鳥車内では途中北陸本線沿線の名物駅弁を楽しむことができるが、何を食べたかまでは覚えていないます寿司だったようにも思うが、敦賀の鯛の寿司だったようにも思う…この辺りは記憶が曖昧だ。白鳥は東日本管内では車販が乗り込まないという話を聞いていたので、新潟での停車時間の間に連れが弁当を買いに行ったのを思い出す。これがなければ本当に兵糧攻めに遭うところだったと羽越・奥羽線の道中で改めて何も食べ物のない車内で新潟で弁当が買えたことを感謝したものだ。青森駅に着いて食べた駅そばがなんとうまかったことか…。

Hokuriku10  北陸本線にはその後学生時代でも何度か乗っており、越美北線に遠征した時には行きは小浜線経由で乗っていないが、帰りは福井から普通を乗り継ぎ大阪へ戻り、新大阪から今はなき新宮夜行に乗って、新宮へ行き新宮からキハ85系南紀に乗って松阪まで行って名松線の乗り潰しをしている。また、大阪から福井までサンダーバードに乗り、福井から普通を乗り継いで延々と新潟まで行って、新潟からムーンライトえちごで上京するという技?も使っている。この時は薄暗い夕暮れ過ぎの419系の車内で富山のますの寿司を食べたのを思い出す。98年の信州ワイドを使った信州乗り潰しの時にはサンダーバードとはくたかを乗り継いで直江津まで乗っている。サンダーバードの人気もすごいが、本数がサンダーバードより若干少ないせいか、あるいは東京志向が高いのかはくたか人気も凄いことに驚いた。ビジネス利用が多いと聞いていたが、実際には夏休みだったこともありレジャー客も結構いたように思う。

Notokitaguni  社会人になってからは正月出歩く癖がつき、JR西日本の年末年始フリーきっぷを活用して北陸への旅をフルに楽しんだものだ。ゆく年くる年を急行能登の車内で2年ほど続けて味わったりしている。能登で直江津まで行って、折り返しきたぐにで大阪へ向いて戻るという夜行乗り継ぎで、フリーきっぷを有効に使って移動距離を稼いでいた。

 ホームページを始めて写真を撮るようになって、さらに写真の質も少し求めるようになって撮影地に出向くようになった。かつては北陸本線の新疋田などへ行く気はさらさらなかったが、一度雪の日に訪れていい画が撮れてからは非常に気に入り、最初はホームから撮っていたのがカーブにも進出するようになり、2006年には新疋田詣でを何度かしている。同じく南今庄も気に入っているし、1度しか行っていないが、丸岡近辺もいい画が撮れるところでもう一度行ってみたいところだ。485系が健在のうちに、北陸詣でを何度かしておきたいところだ。060205hokuriku683sh3_1