ここも97年の渡道の際に特急白鳥で素通りになるが、乗り潰している。新潟で駅弁を入手してほっと一息というところに、新幹線からの乗り換え客が大量に乗りこんできて驚いたものだ。白鳥は京阪神~北陸、北陸~東京連絡、東京~羽越、秋田~青森など区間利用があり、また当時はワイド周遊券を利用した学生などが北海道連絡で利用するという多種多様な旅客を乗せて運転していた。弁当とどっと乗り込んできた旅客に気を奪われていたため白新線内はあまり景色を見た記憶がない。北海道からの帰りはトワイライトを利用したので白新線は通っていないので、しばらくは記憶にございません路線となっていた。
それ以後特に乗る予定もなかったが、仕事で急遽新発田へ出張することになり、偶然にも白新線を使う機会を持った。01年の話だが、当時は会社があまり飛行機利用に理解がなく、新潟までなら鉄道でも行けるという認識だったので、鉄な私にとっては福音な仕事だった。新幹線を乗り継いでいくルートで申請して、前の晩にサンライズののびのびシートで東京入りして、朝少し京急の撮影してから新幹線で新潟へ向かうという何とも気楽な出張をこなしている。仕事が早く終わったので、日帰りでの出張となったが、冬場で雪が積もっており、何もせずに真っすぐ帰ったのを思い出す。その時新潟~新発田間で白新線を利用している。行きはいなほ、帰りは写真のE127系に乗っている。E127系にはこの時初めて乗っており、東北の701系もそれまでは見るだけだったので、この手の車両はこの時に初めて乗っている。
次に白新線に乗ったのは2003年の年末に東京へ遠征して、そのままムーンライトえちごに乗って新潟まで行って、越後線・飯山線などの乗り潰しをして新潟で一泊して、翌朝米坂線に乗るために白新線で新発田まで出ている。冬場の早朝のため真っ暗の中をE127系で移動したのを思い出す。
その次に乗ったのは2005年年末の東北遠征の時に、急行きたぐにで新潟まで出て新潟から白新線経由で北上した時に115系で雪の中を走っている。この時はちょうど羽越本線で脱線事故があった時で白新線はそんなにダイヤは乱れていなかったが、羽越本線はかなりダイヤが乱れており、余目から陸羽西線~陸羽東線を乗り継いで仙台まで行ったが、かなり時間がかかった。白新線は今後も羽越方面へのバイパス路線として、また新潟都市近郊輸送の一端を担う路線として活躍していくだろう。