2011年12月30日。奥羽本線の旅後編です。山形から標準軌仕様の719系5000番台ワンマン列車で雪の中、這う這うの体で新庄まで来ました。秋田行き普通が接続待ちしてくれたのが何よりです。秋田行き701系ではとりあえず後ろの助手席付近が開いていたので、そこに陣取りました。これは後々失敗だったと気づきます。前でかぶりついておけばよかったと後悔する羽目になるのは横手に着いてからです。乗り継げたことにほっとしてとりあえず出発してくれたらいいと思っていましたが、なかなか出発してくれません。さては抑止か?と思ったら放送でつばさの接続待ちをしますとのこと。私が乗ってきた719系の後に入るつばさの到着を待っての出発となるようです。遅れが加算されていきますが、途中乗り継ぎポイントとしている大曲では時間に余裕があったのとあっちも遅れてるやろうという公算からもうなるようにしかならないと腹をくくります。
つばさがなんとか到着して、たくさんの乗り継ぎ客を乗せていざ出発です。帰省客がやはり多いようです。新幹線に見放された横手あたりまで行く人が多いのでしょうか。電車は立ち客満載で出発。これまで乗ってきた719系とは違い、結構飛ばして走ります。ただ、後部のガラスは雪を舞い上げて撮り潰しどころではない状態に・・・。それでも根性で撮影は続けます。列車は最初は順調に走ったものの、対向列車遅れなどでだんだんダイヤがガタガタになっていきます。各駅とも雪に埋もれており、降車に手間取っているのかあるいは雪が凄すぎて出発できないのか、対向列車が遅れすぎて行き違いできないのかよくわかりませんが、各駅での停車時分は通常よりもかなり長めでした。遅延がどんどんどんどん増大していきます。それでも横手までは何とか先の見通しがつくような遅れでした。ただ、晴れ間が覗いてきた横手から先が対向列車遅れや大曲でのポイント不具合など遅延が増大する要素が満載で、大曲手前で接続列車との連絡が完全に断たれてしまいました。ポイント転換不能の為人力で転換したものと思われますが、その間に乗る予定にしていた田沢湖線普通列車は、接続を取らずに発車と言う無線が無常にも流れました。18での盛岡までの乗り継ぎはこれにてTHE END。行き先を変えるわけにはいかないのでどうにかしてこの日のうちに弘前まで行かなければなりません。まぁ次なる手段は懐が痛いものの考えていたので、大曲から先が動いていればなんとかなると気を取り直します。なんとかポイント転換が行われて大曲駅に到着。大曲は豪雪の割に空から雪は降っていません。ただ、ここから先がかなり雪がひどいようで、さらには遅れを考慮した運用変更などあるのか、私が乗ってきた秋田行きは大曲打ち切りとなっていました。
2012年1月8日日曜日。18消化試合1試合目です。本来であれば消化試合ではなく北陸遠征を目論んでいましたが、正月明けの仕事で疲れてしまい、遠征は断念。新疋田まで日帰り遠征も考えましたが、起きれず撃沈。仕方ないので、近所で正月明け撮影していない貨物の撮影してから日本海撮影に湖西線方面へ向かうことにしました。とりあえず72レをどこかで撮ってと思いながら朝飯を食べたりなんやかんやしていると72レが撮れない時間になってしまいました。朝起きるのを怠るとロクなことがありません。というかこれなら行かぬ方がマシです。しかし、18を全く使わないのももったいないので岸辺へと出陣。73レを狙ってから日本海撮影に行くことにしました。まずは72レを引いてきたPFが引き上げて行く様を動画撮影。鉄道模型のようなS字カーブを単機が走る姿はまさに模型チックです。引き上げシーンは撮影できたものの、戻りは貨物とはるかに被られて撃沈です。続いて73レ。新快速の被りを心配しながらなんとか先に73レが通過。更新色赤ナンバーの1087でした。原色なら東淀川まで追っかける所ですが、ここは自重して日本海撮影に向かいます。さてどこに行きましょうか?とりあえず岸辺から普通に乗りこみました。