9月2日日曜日。蔵垣内二踏切で甲種を撮影し、千里丘駅へ戻りました。千里丘駅ではこの日メインの2037号機が待機中でした。大阪貨物タへ75レを迎えにいく準備でしょう。とりあえずそれを撮影して、千里丘の出発シーンを撮るかどうか少し悩んで、場所取りのため岸辺へ先行することにしました。やっぱり貨車を牽いた姿で岸辺で撮ってなんぼです。岸辺には・・・先客が5人ほどいましたが、意外にいい場所が取れました。小時間ほど居座りました。前日活躍したお立ち台を持ってくればよかった・・・。人数の割にギスギスしてなかったのは三脚組がいなかったからでしょうか。駅撮りは手持ちで十分です。この日は1975レも桃牽引なの で少々魅力が半減しているのは1974レで確認済み。あまり面白くない1時間をぼーっと過ごしました。1975レは66-100のムド付でやってきました。ここだけがちょっと盛り上がっただけで後は75レが来るまで盛り上がりもなく過ごしました。
漸く真打ちの75レ登場。もちろん牽引機は2037号機。2040号機もネタ機ですが、ルーバー付の2037号機は久々の来阪なので気合いが入りました。できれば加島あたりで捕えたかったものです。もっとも岸辺一発 で終わるはずもなく、岸辺から追っかけます。最終的に10人以上が集まっていましたが、ほとんどが追っかけしてました。追っかけはみな東淀川で下車。私は・・・横関へ行くため、新大阪へ。人をかき分け、駅構内を抜けて踏切へと向かいます。先客1名。まさかの先客あり。仕方なくあまりいいポジションでないところで撮影。ポジション以前に影がいまいちです。ビル影がかかっていまいちです。季節の移り変わりにより光線状態が変わることを実感させられます。75レはほどなく通過。あまりいい出来ではありません。必死に追っかけてきた甲斐がなかったです。
10分ほど遅れてやって来た2050号機牽引の73列車/竜野~相生間
9月1日土曜日。姫路廃線跡ミニ散策を終えて、山陽本線電車に乗って竜野を目指します。223系播州赤穂行き普通は4両編成で到着。程よい乗り具合でしたが、反対ホームに到着した新快速からの乗り継ぎで一気に席が埋まってしまいました。とはいえ、18きっぱーの移動には中途半端な時間なのと先への乗り継ぎが悪いのか、それらしき人は少なく、地元の利用者が多い感じでした。竜野で下車し、73レを撮るため、早速相生方向へ歩いて撮影地へと向かいます。徒歩15分ほどで田園地帯に到着。踏切まで歩きましたが、いまいちなので、田んぼ のあぜ道に入り、そこから73レを狙うことにしました。あぜ道には我が天敵のヘビと遭遇する可能性が高いので、あまり入らないことにしていますが・・・。なるべくヤブは避けて通り、なんとか線路近くに到着。すると後ろから・・・撮影者のクルマが入ってきました。ヘビでなくてよかった。ぴ~かんですが、雲がもくもくしており、背景はやや灰色加減。雨が降らなければいいがと思いながら三脚をセット。貨物はやや遅れ加減で通過しており、73レも定刻になっても現れませんでした。後続の普通に乗らないと上郡から先の追っかけができないので、やきもきしながら73レの通過を待ちました。10分ほど遅れて通過。次の普通まで15分程度しか時間がありません。速攻撤収です。暑い中、来た道を急いで戻り、何とか後続の普通に乗り込めました。
吹田信でDE10からPFに機関車を交換して一路関東へと旅立つE657系/千里丘~茨木間
9月2日日曜日。蒸し暑い日曜日でした。熱い熱い日曜日でもありました。昼もネタ切れすることなく、E657系の甲種があったので、まずは吹田へと向かいました。赤川鉄橋も思い浮かんだものの、5087レ撮影後の大移動は疲れるのと前日の疲れを引きずっていたので、手軽に吹田へ行きました。吹田もロケーションはあまりよくない割にかなりの人が集まっていました。場所はいろいろあるのでパニクッてはいませんでした。DE10が牽引して甲種登場。動画も撮影して意気揚々と撤収します。吹田でカマを替えるので、その間に先回りして・・・さてどこに 行くか。あまり遠くへ行くと次のメイン行程に差し支えるので、千里丘付近の蔵垣内二踏切へ行くことにしました。お初です。なかなかいい感じに撮れそうです。
先客なし、後から2人ほど来ましたが、平穏なものです。いきなり65が現れたので何者?と思いましたが、5087レの単機回送だったよう。2037号機でなくてよかった。それにしても旅客線側の踏切付近には花が供えられていました。おそらく人身事故で亡くなられた方へのものなんでしょう。見通しが悪いところなので自殺以外にも不慮の事故で亡くなられる方も多いかもしれません。昔からここは危ないなと思っていたのですが、やはり危ないようです。程なく貨物線側の警報が鳴り、65を先頭に甲種が通過。2070号機が牽引です。2037号機でなくてよかった。この日は甲種どうのこうのよりも2037号機を撮りに外へ出たようなものなので、75レに入ってもらわなければ困ります。こちらでも動画を撮影し、最後にケツ討ちして撮影完了。踏切待ちの“小学生が新幹線や!”と言うていたのが印象的でした。
9月1日土曜日。土山で72レを撮り、普通電車で姫路へと移動。先を急ぐなら加古川から新快速乗換えが早かったですが、急がないので普通を姫路まで乗り通しました。次の撮影は竜野近辺での73レを予定。それまでの間は・・・また暇つぶしに廃線跡巡りです。姫路と言えば・・・姫路モノレールですが、ここはマニアックに飾磨港線跡を散策してみます。とはいえ、姫路駅も土山駅と同様様相が一変しており、駅近辺にその遺構は見られません。1986年11月廃止なので、別府鉄道同様20年近く歳月が経っており、跡地を探すのも至難の業ということなんでしょう。とりあえず山陽電車と並行して走っていたようなので、手柄駅付近からの飾磨港 線跡の遊歩道を少し歩くことにしました。遊歩道入口に飾磨港線廃止跡などの説明書き看板を発見。これが唯一の手がかりと言ってもよく、あとは普通に遊歩道でした。亀山まで歩けば、遺構が残っているようですが、別府鉄道と同じくついでの暇つぶしに寄ったため、手柄近辺でタイムアウト。ここはまた後日訪問と言うことで、姫路方面へと引き返します。
しかし、これだけでは消化不良なので途中山陽電車を撮りながら歩き、さらに目に入った姫路モノレール跡を追いながら姫路駅まで戻ることにしました。姫路モノレール跡は途切れ途切れながらも今もはっきりと存在しています。手柄山に登ればモノレールの車両の見物もできるようですが、これもまた飾磨港線とセットで再訪することとして、ビルの中に駅があったらしい大将軍駅跡などを見物しました。今も現役のビルと朽ち果てたモノレールの軌道が対照的で面白い光景でした。大将軍駅から先も軌道は残っているものの、山陽電車を跨いだあたりで軌道が途切れて跡形がなくなっていました。姫路駅跡は神姫バスターミナルや山陽百貨店になったようで、モノレール跡を確認することはできませんでした。これにて廃線跡ミニ散策は終了。JR姫路駅へと戻りました。
山陽電鉄の高架切り替えが行われているのでよくわからないが飾磨港線と山陽電鉄が交差する地点があったはずだが・・・
山陽電鉄はJR姫路駅高架化に伴い高架線を地上線に切り替える処置が取られた
姫路市場付近から見た姫路モノレール跡。線路はそこら中に残っている
赤レンガの倉庫の上をモノレールの線路が通過するという珍しい光景。ここをモノレールが通ってくれたら珍百景登録確定?
このビルの中にあった駅は大将軍駅という立派な駅名が付いていた
もはや線路撤去の意向なし?もはや遺跡化してしまったモノレールの線路
銀河鉄道999の世界を彷彿させる線路跡。今にもD51が宇宙へ飛び立っていきそう
山陽姫路手前での光景。山陽電鉄を跨ぐため銀河鉄道状態の高々架になっていた
山陽トワイに続いて2本目の原色PF2119号機をGET/土山
9月1日土曜日。別府鉄道土山線跡を散策して、土山駅へと戻りました。予定では宝殿で72レを撮る行程にしていましたが、別府鉄道に思いのほか時間がかかり、普通電車に乗り遅れたので宝殿への移動を断念。手堅く土山で72レを撮影することにしました。この日の72レは2119だったので、手堅く撮っておきたいという思いと土山が意外に撮りやすいところだったので残留することにしました。とはいえ、72レはまだまだ時間があります。こんなことならもっと別府鉄道跡をゆっくり見てくればよかった・・・。新快速などで練習し、先走りのEF200牽引の1070レなどを撮影し、本番の72レ。ちょっと失敗しました。欲張って色々なカットで撮ろうという野暮な考えが邪魔をしてしまいました。まぁ完全に失敗というわけではないのでとりあえず満足して土山から撤収しました。
9月2日日曜日。早朝から京阪撮影を行い、寝屋川市から予定を早めて撤収。京橋から環状線に乗り換えて、大阪へ出ます。大阪からは新快速に乗って三ノ宮へ。普通に乗り換えてはるばる寝屋川市から元町へとやってきました。元町では72レと73レを連発で撮影します。まずは72レ。ネタ機ではありません。しかし、有名撮影地だけあって、ホームに4人、陸橋にも何人か撮影者がいました。ベストポジションが取れなかったのでいまいち写真になりました。元町はポジションによって左右されますね。長編成の貨物向きの撮影地でもありません。山陽トワイあたりはいいかもしれませんね。
下りホームに移動して73レを撮影。ここでもポジショニングに迷い、ちょっと失敗。手前の棒にいつも惑わされます。内側線よりから撮るのが正解なんでしょうね。せっかくの2040号機だったのに・・・。消化不良の2発で元町から撤収です。
播磨町郷土資料館に保存されている別府鉄道のディーゼル機関車と客車
9月1日土曜日。スマシオで山陽トワイを撮って即撤収しました。下り普通電車に乗って、西明石で始発の普通に乗換え。向かうは土山です。特に目的はありませんが、72レまでの暇つぶしに土山近辺の別府鉄道跡を散策しました。土山駅は橋上化されて周辺も整備されているので別府鉄道の跡と言うのも見当たりません。とりあえず遊歩道化されている線路跡を歩いていきます。事前に仕入れた情報では15分ほど歩けば、別府鉄道の車両が展示されている播磨町郷土資料館があるようなので、とりあえずそこを目指して歩きます。廃止から20年近く経っているため線路跡などはなく、辛うじて遊歩道の曲がり方が鉄道路線っぽい ところが名残を感じさせてくれるぐらいでしょうか。川を渡って大中遺跡がありますが、郷土資料館は見当たりません。まだ歩かなければならないのか・・・小雨が降る中さらに歩いて漸く郷土資料館に辿り着きました。とはいえ、郷土資料館が朝っぱらから開いているはずもなく、別府鉄道車両は敷地外から柵越しに撮影するに留まりました。小型ディーゼルDC302と2軸の客車ハフ5が展示されていました。さすがに公的な機関での展示だけあって状態はよさそうです。動態保存だったら人気が出たでしょうね。それにしても土山線は貨物輸送が中心だったようですが、今や沿線には住宅が建ち並んでいます。国鉄時代には旅客輸送の発展など考えられもしなかったでしょうが、JR神戸線の進展を考えれば路線の廃止は惜しかったと言う気がしないでもありません。今ぐらいの沿線人口であれば、LRTでも走らせればそこそこ利用者がつくように思いますね。
遊歩道内にあるそうそうたる歴史の中にある別府鉄道土山線廃線のモニュメント
このS字も線路跡の通りなのだろうか。そうであればかなり急なS字カーブだったよう
こんな客車が今の時代に走っていれば・・・狂喜乱舞するファンも多いことだろう
寝屋川市でも2本目の3000系準急を撮影。この後さらにもう1本運転される。
9月2日日曜日。香里園から寝屋川市に移動して、次の3000系準急を撮影します。さらにその後にも時間を空けて3000系準急は1本ありますが、予定を前倒しして撮影していきます。寝屋川市はビルが影になり思いのほか条件はよくありません。残念。これなら土居あたりと変わらんかな。土休日の朝は20分サイクルに特急、快急、準急×3、普通が運転される形態になっているようです。特急には8000系が主に使用されており、3000系は樟葉発の準急に使用されているケースが多いようです。快急にも一部3000系が使用されていますが、主流は通勤型のようです。寝屋川市では特急が通過して、3000系準急が来て、出町柳からの7連準急、快速急行が行って、最後に普通が来るダイヤになっています。平日も朝は通勤準急が主体ですが、土休日も朝は準急が主体のダイヤになるんですね。
さすがは特急牽引機ヘッドマークが良く似合うPF/塩屋~須磨間
9月1日土曜日。18も残り2枚となったこの日。山陽トワイが運転されるため、またまた山陽方面を軸にした撮影ミニ旅行に出かけてきました。最近苦でもなくなってきた始発電車に乗り、まずはスマシオを目指しました。さすがに9月に入ると日の出が遅く、SRCは撮影できる状況になかったので、ホームの明かりの下で動画撮影。もう来年まで日の下では撮影できそうにありません。始発電車で延々と須磨へと向かいました。途中西宮から豪雨となり・・・スマシオを断念すべきかどうか道中悩みました。あまりの豪雨にとりあえず須磨海浜公園で降りて駅 撮りの方向で調整。須磨海浜公園で撮影準備するうちに少し雨が弱まってきたので、次の電車で須磨に移動してスマシオを目指しました。スマシオは・・・満員御礼・・・ここで持ち出したのがお手軽プラスチック製のお立ち台。これを活用して・・・ポールポジションを獲得。これがなければ撮影できてませんでした。というかこのために荷物になるのに持ち歩いてきた甲斐があったというものです。いいですお立ち台。すぐに潰れそうですが、安くて軽いのでこれからも活躍しそうです。雨は降ったり止んだりと言う感じで、豪雨にはならず何とか持ち堪えてくれました。定刻通り山陽トワイが通過。ヘッドライトにやられて少々撃沈。ぴ~かんではないため暗いのも残念なところですが、とりあえず撮影できたのでヨシとします。
吉井川を渡る原色のPF2119号機牽引の73列車/熊山~万富間
8月26日日曜日。上郡で73レを撮影し、大休止の隙に先行して万富の吉井川橋梁で再度迎え撃つことを企画。普通電車は姫路行きは18ユーザーで混み合っているものの、岡山行きは空いていますね。無事万富に到着。車窓から見ると撮影者は一人のみ。川の土手なので場所はいくらでもあります。珍しく駅員がいる万富駅から歩いて徒歩15分ぐらいで現地到着。今から6年ほど前にサンライズが大阪駅改良工事だったかで時刻変更があった時以来2回目の訪問になります。サンライズは長編成感を出すため、上り線側から狙いましたが、今回は光 線状態のよい下り線側から狙いました。当然他の撮影者の方も皆、下り線側に陣取っておられました。ほとんどクルマ移動組みで、電車移動は私だけのようでした。駅から近いのになぁ・・・。追っかけ組が後からなんぼか到着して10人弱で73レを撮影。先走りの桃太郎901号機は寸前で撮り逃しましたが、あまり遭遇したことがない1号機(ムド付)を撮れたので73レの前にも美味しいものを頂けました。本番の73レは・・・雲がかかりかけて危うく曇天になりかけましたが、雲がかかる前にうまく通過してくれました。なかなか珍しいケースです。それにしても台 風の影響からか風が強かったです。遠く沖縄から強い風が吹き込んでくるのですからかなり強い台風だったんでしょうね。これにて撤収。後は万富から大阪まで移動するだけです。途中75レを撮ろうかと思ったものの、帰りの電車が姫路までずっと立ちっぱなしで疲れがどっと出たので、姫路からの新快速では大阪までほとんど眠りについていました。
寝屋川車庫から送り込まれて5番線から発車する私市行き/枚方市
9月2日日曜日。枚方市駅周りの見物を終えて、構内に戻り、5番線で交野線送り込み回送の到着を待ちます。7月におりひめひこぼし、8月に通勤準急を撮っているので、交野線送り込みはこれが3度目になります。今回は純然たる交野線送り込み電車です。10000系が本線を走る姿を撮るのも一興だったな・・・と思いながら入線風景を動画にて撮影。枚方市ではこの他3000系準急を撮るつもりにしていましたが、交野線送り込みが早く終わったので前倒しで香里園に移動して3000系準急はそちらで撮ることにしました。香里園ではまずは8531F特急を撮影。最後の夏の特急が撮れて満足して3000系準急の撮影に取り掛かりました。
8月26日日曜日。和気で30分程度待ちの後、相生行きで上郡まで戻りました。上郡では智頭急行乗換えなどで何度か降りていますが、今回は撮影が目的。昼過ぎに到着する73レが同駅で大休止するため、それを迎え撃とうという魂胆です。原色でなければここまで戻ってはきません。この日2119号機が入ると知っての予定変更です。まぁ四国での撮り鉄に面白味がなかったと言うこともありますが・・・残留すればFGTの撮影機会はなんぼかあったみたいなんですけどね。
73レの前に5051レが通過。上郡駅には相変わらず姫路~岡山間直通運転復活の看 板が掲げられていますね。18ユーザーとしてこの看板には賛成します。もっとも実態的には赤穂市を控える赤穂線の方が利用が多いので姫路直通は赤穂線で仕方ないんですけどね。動画もセットして準備万端で73レの到着待ち。定刻通り2119号機牽引で73レが到着しました。カマはホームより先に止まるので、入線シーンのみの撮影です。外の踏切まで行けばカマ出しの画が撮れますが、次の普通で移動して万富付近で撮影するつもりなのでそれは断念しました。普通電車の後部から動画を撮影して上郡での73レ撮影は終了。
9月2日日曜日。京阪8531F最後の夏ヘッドマーク最終日。特にそれを追いかけるつもりはなかったものの、ついでに撮ってきました。阪急の始発電車と堺筋線を乗り継いで北浜へ出て、北浜から京阪で寝屋川市へ移動・・・のつもりでしたが、寝屋川市に撮影者が何人かいたので、香里園に変更して再移動。香里園でギリギリ8531F淀屋橋行き準急を撮ることができました。香里園での一仕事はこれのみ。交野線送り込みが入ってくるはずですが、それまで待っていられないので先行して枚方市へと移動しました。
枚方市では時間があるので改札を出たついでに駅の周りを一歩き。久々に枚方市駅の周りを歩きましたが、バスターミナルが立派です。阪急やJRの茨木、高槻あたりも立派なターミナルがありますが、枚方市駅は両側に立派なバスターミナルがあり、バス路線の充実ぶりを伺うことが出来ます。さすがは京阪本線中間駅の雄ですね。