学習院の教授であった辻邦生を記念しての「琵琶と声明による西行花伝」という催しがあり、久しぶりに母校に行って来ました。
やはり同校の教授である中条省平氏の、辻氏の「西行花伝」がテーマの講演が第一部。
西行というと、百人一首の中の「嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな」のイメージが強いだろう、自分も月を見て泣いている坊さんのイメージを持っていたと(はい、私もそうでした)。
がしかし、それは大違いで、簾を上げて貰い一目見た、位の高い待賢門院璋子を生涯、恋焦がれた情熱の人であったのだと。
辻邦生は、西行をスタンダールの「パルムの僧院」の情熱的なファブリスと重ねていたのだと。
(木立の奥の図書館、昔どれだけ通ったか)
第二部は、辻の「西行花伝」をテーマに声明、薩摩琵琶の演奏。
フランス留学の経験もあるお洒落なイメージの辻邦生に何故琵琶?と思ったら、御父上が薩摩琵琶の奏者だったのですって。
これは2時間以上続き、やや長すぎた気もしましたが、独特の世界を味あわせて頂きました。
(昔の図書館、今は資料館)
私は仏文科でもないのに、辻邦生先生の授業を昔こっそり受講したこともあります。
若い頃は確かに好きで著書を色々読んだ筈なのに、今となっては殆ど内容を覚えていない。
かろうじて覚えているのは、子供の頃何度も読んだ児童文学の「ユリアと魔法の都」、世界の名画に寄せて書かれた「十二の肖像画による十二の物語」くらいか。
(質素な乃木邸)
催しの前に目白の駅前ビルの「AEN」でランチをすませ、まだ時間が余っていたので、友人を案内して校内を散策。
名物だったピラミッド校舎がなくなったり(トップ写真、天辺だけ残っている)、無機質な高いビルができてしまったり、キャンパスは色々変わってしまいましたが、それでもやっぱり懐かしい。
血洗いの池とか、林の中の馬場とか、私の好きな場所がもっとあるのですが(在学中は野生のリスがいた!)、着物では中々そこまで行けず、残念でした。
やはり同校の教授である中条省平氏の、辻氏の「西行花伝」がテーマの講演が第一部。
西行というと、百人一首の中の「嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな」のイメージが強いだろう、自分も月を見て泣いている坊さんのイメージを持っていたと(はい、私もそうでした)。
がしかし、それは大違いで、簾を上げて貰い一目見た、位の高い待賢門院璋子を生涯、恋焦がれた情熱の人であったのだと。
辻邦生は、西行をスタンダールの「パルムの僧院」の情熱的なファブリスと重ねていたのだと。
(木立の奥の図書館、昔どれだけ通ったか)
第二部は、辻の「西行花伝」をテーマに声明、薩摩琵琶の演奏。
フランス留学の経験もあるお洒落なイメージの辻邦生に何故琵琶?と思ったら、御父上が薩摩琵琶の奏者だったのですって。
これは2時間以上続き、やや長すぎた気もしましたが、独特の世界を味あわせて頂きました。
(昔の図書館、今は資料館)
私は仏文科でもないのに、辻邦生先生の授業を昔こっそり受講したこともあります。
若い頃は確かに好きで著書を色々読んだ筈なのに、今となっては殆ど内容を覚えていない。
かろうじて覚えているのは、子供の頃何度も読んだ児童文学の「ユリアと魔法の都」、世界の名画に寄せて書かれた「十二の肖像画による十二の物語」くらいか。
(質素な乃木邸)
催しの前に目白の駅前ビルの「AEN」でランチをすませ、まだ時間が余っていたので、友人を案内して校内を散策。
名物だったピラミッド校舎がなくなったり(トップ写真、天辺だけ残っている)、無機質な高いビルができてしまったり、キャンパスは色々変わってしまいましたが、それでもやっぱり懐かしい。
血洗いの池とか、林の中の馬場とか、私の好きな場所がもっとあるのですが(在学中は野生のリスがいた!)、着物では中々そこまで行けず、残念でした。