Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ヒルビリー・エレジー」クリーンな尿をくれ!

2024年08月31日 | 


来るアメリカ大統領選挙において、トランプ氏が副大統領候補として指名したJ.D.ヴァンス氏。
弁護士であり投資会社の社長である40歳のヴァンス氏の回顧録が、本書です。

「ラストベルト」(錆びついた工業地帯)と呼ばれ、貧しい労働者階級の白人たちが多く住んでいるアパラチア山脈の北側あたりに生まれた彼は、母と祖父母の家を行ったり来たりして育った。
つまり、きちんと子供を教育する両親には恵まれなかったとうことです。
父は早くに彼の前から去り、母は薬物に溺れ、次から次へと男を変え、暴力をふるう。
時に錯乱して警察が来て、逮捕される。
まだ著者が小さい時に、母親から殺される!と必死に逃げて、知らない人の家に助けを求める場面もあります

母親がそんな酷い状況なので、彼は母方の祖父母の家で過ごすことが多かったのですが、その祖父母というのも大概暴力的なのです。
”祖母のボニー自身も、恐ろしい性格の持ち主として知られていた。数十年経ってから、私は海兵隊の新卒採用担当者から、「君の場合は、自宅にいるより新兵訓練所(ブートキャンプ)にいる方がましだと思う」と言われたほどだ。「海兵隊の新兵訓練教官は手ごわい」と、彼は私に言った。「でも、君のおばあさんほどじゃない」”

薬物中毒の母親が看護師免許を更新するために、高校生であった著者に「クリーンな尿」をくれというくだりには、言葉を失くしました。
”私はついに怒りを爆発させた。「クリーンな小便が欲しいんなら、つまらないことはやめて、自分の膀胱からとれ」そう言ってやった。祖母にも、「祖母ちゃんが甘やかすからいけないんだ、30年前にちゃんとやめておけば、自分の息子にクリーンな小便をせがむようなやつにはならなかったんじゃないのか」と言った。母には「クソみてえな親だ」と言い、祖母にも、「おまえもクソみてえな母親だ」と言い放った。”

「ヒルビリー」とは、「プア・ホワイト」「ホワイト・トラッシュ」「レッド・ネック」あたりと同異義語であるらしい。
そうした人々をテーマにした映画を、随分観て来ました。
近年では「ウィンド・リバー」「スリー・ビルボード」「ガラスの城の約束」など。
それを考えても、ヴァンス氏の育った環境は、想像に絶するものです。
そんな所から、海軍を経てイエール大学のロー・スクールに行った彼は、まさしくアメリカン・ドリームを体現したと言えるのでしょう。
そしてこれだけ華々しく出世したにも関わらず、こうした生い立ちを包み隠さず書き出したということは、多くの同じような境遇の人々にどれだけの勇気と希望を与えたか分からないのでしょうが…
私は、どうにもこの人のナルシズムが鼻についてしまったのでした。
自分はヒルビリー出身でこんなにも苦労したが、これだけの立身出世を果たした、だからヒルビリーは否定できないのだ、といったような。
400ページ強の本書全編において。

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川原町無念

2024年08月30日 | 社会

最近、岐阜・滋賀・京都を巡る3日間のツアーに行ったという友人から、岐阜では鵜飼ミュージアムと鵜飼船に乗っただけだったという話を聞いて驚きました。
鵜飼舟乗り場の目と鼻の先に、岐阜の小京都と呼ばれる川原町があるのです。


この地図で言うと、長良川の真ん中の左下に鵜飼船乗り場があり、そこから左に続く街並が、川原町なのです。
川原町が始まるすぐの所に大きな旅館十八楼があり、その向いに我家の親戚玉井屋が。
そして友人は、川のすぐ向こう側の都ホテルに泊まり、時間的にも余裕があったというのに、川原町に寄らなかったとは。
例えて言うなら、原宿駅の竹下口を出て、竹下通りに行かなかったようなものです。
グリーン車を使うプレミアムツアーというので、余裕を持たせたプランだったのでしょうが、あまりにも残念で主催者に一言いいたくなります。



川原町には古くからの町屋が建ち並び、景観条例がとても厳しい。
写真の左上は、看板も入口もありませんが、裏に廻ると入口があるという、カフェを併設したベーカリーです。
その下は銀行のATM、右は鮎料理の店。
玉井屋が15年ほど前に建て替えた際にも、条件がそれは厳しかったそうです。


この古い街並が私は好きなのですが、いかんせん活かし切れていないような気もします。
イタリアン、豆腐懐石、鮎料理など飲食店もあるのですが、少々値段が高目で、若い人がふらりと立ち寄るという感じではない。
もう少しカフェなど増やせばと思うのですが、今のまま静かであって欲しい、川越のようにあまりにも観光化されたくないという気持ちも。


ウスノロ台風10号が、全国で猛威を振るっているようです。
被害が最小限でありますように。

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超ウスノロ台風と帰省

2024年08月29日 | お出かけ

当初、台風10号の関東上陸予定は28日火曜と言われていました。
丁度その日から岐阜に帰省予定だったので、どうなることかと心配していたのですが、
超ウスノロ台風の関東接近は大幅に遅延、週末位になるだろうと。
やれやれと火曜の朝、青空の下、夫と新横浜駅に行くと、新幹線動いてない!
静岡で線状降水帯が発生したのですって。
仕方なく、猛暑のプラットホームでひたすら待つことになる。

よく地震や台風によって新幹線運休というニュースが流れますが、その一言の裏にどれほどの大変さがあるかを経験上、知っています。
数分おきに走る新幹線が止まればホームには人が溢れ、遅れてようやく動き出した新幹線には大量の人が押し寄せることになる。
以前のように何が何でも走らせようとせず、早目に計画運休を発表することは良いことだとは思いますが、その陰には予定のキャンセルを余儀なくされて泣く人もいるのです。
その場合の、例えばホテルやコンサート等のキャンセル料はどうなるのだろう?



幸い今回は1時間チョイの遅れで、無事乗ることができました。
火水共に不動産屋、整理業者、古美術品店など、いくつかの打ち合わせを予約していたので、とにかく行けてありがたかった。
そして火曜の夜には、親戚の付き合いで、この夏2回目の鵜飼舟乗船。
岐阜にこれだけ通っていても普段は鵜飼なんて殆ど縁がないのに、皮肉というかありがたいというか。



この日は御料鵜飼といって、皇室に献上する鮎を取る日だそうで、通常より出る船も回数も少なく、その分ゆっくり楽しむことができました。
今回も貸切、テーブル席で、仕出し弁当は岐阜かわらや支店のものでした。
台風10号は、今朝、鹿児島県に上陸したようです。


(鵜飼舟乗り場の隣にある川原町の街並み)

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「屋根をかける人」

2024年08月24日 | 

門井慶喜という著者の名前、何処かで見たと思ったら「銀河鉄道の父」を書いた人だったのですね。
これは、明治末期にキリスト教布教のために来日したアメリカ人建築家、メレル・ヴォーリズの物語。

明治38年、メレル・ヴォーリズはアメリカから来日、滋賀県近江八幡の商業学校の英語の教師として来日、教職の傍ら熱心にキリスト教を布教した。メレルは建築にも才能を発揮して建築事務所を興し、次々と有名建築物を造る。更に商才もあって、米国から取り寄せたメンソレータムを売り出し、今日の近江兄弟社グループを築いた。

 (明治学院大学礼拝堂)

世の中には本当に凄い人がいるなあと思います。
建築は殆ど独学ながら(コロラドカレッジでは哲学専攻)次々と建築設計をし、メレルが残した建築物は1500に達するのだそうです。
明治期の有名な建築家、あの東京駅を造った辰野金吾の作品数は200だったというのに。
私が知っているヴォーリズの建築物は、例えば明治学院大学の礼拝堂、山の上ホテル、関西学院大学など。

 (山の上ホテル)

メレルは39歳の時に華族令嬢一柳真喜子と結婚し、戦争の最中に敵国人として追放され企業を没収されるのを防ぐために、日本に帰化します。
あれだけキリスト教に身を捧げた宣教師であったのに、その為に神道に改宗までして。
真喜子とは終生仲の良い夫婦であったらしいのですが、日本国籍を取得するために、一旦離婚して真喜子の養子となるという、苦肉の策を取ったと。

 (関西学院大学)

戦後彼は、日本に進駐したマッカーサーと近衛文麿との仲介工作を行ったとされ、その労の為か、昭和22年、天皇と謁見することになります。
”天皇はちょっと目を伏せ、また上げて、
「あなたは橋ですね」
「橋?」
「日本とアメリカを結ぶ橋。どちらにも属さず、どちらにも属する」
メレルは、思わず破顔した。
「違います」
「え?」
「橋ではありません。建築家ですから、私は、双方に、大きな屋根をかけたのです」”

 (一柳夫妻)

タイトルは、ここから取ったと思われます。
ひとつ気になるのは、後書きに、これは事実に基づいたフィクションであるという文言があること。
天皇との会話は、何処までが本当なのか?
メレルは自叙伝を書いているというので、もしかしたらそこから取ったのかもしれません。

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ひまわりと天丼、ハロルド・フライ

2024年08月23日 | 

帝国ホテルの建て替えはいよいよ始まったようで、後ろのインペリアルタワーはもう閉館となっていました。
本館の建て替えは2031年からというので、まだまだ先のようですが。
欧州では何百年もの古い建物が使われているのに、ほんの50年程で建て替えなければいけないのか。
なんとももったいない気がしますが、地震国である以上仕方ないのかな…
ロビーの第一園芸の花は、今回も豪華でした。



映画の前のランチは「銀座天あさ」の天丼を。
カウンター8席しかない、小さな落ち着いたお店です。



先月観た映画「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」の原作本を読んでみました。
レイチェル・ジョイス著「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」。
「The Unlikely Pilgrimage of Harold Fly」、原題は同じなのですが。
淡々とした筆致の、ナショナル・ブック・アワード新人賞受賞の400ページ程の本です。 
ハロルドの、子供の頃に彼を捨てて出て行った母親への思いや、彼と妻との、出会った頃の感情の盛り上がり、息子を亡くしてからの不毛なやり取り、絶望的な軋轢について、映画より遥かに詳細に書いてあります。

ハロルドは旧友の見舞いのために突然家を出て歩き出し、途中で小さな犬がついてくるのですが、映画では唐突に離れてしまう。
愛犬家としてそこがどうにも納得できなかったのですが、本の中でも同じでした。
”バスが停まり、少女が乗り来んだ。犬も少女の後に続いた。(中略)
犬は自分決断したのだ、と思って納得することにした。しばらくおれに同行し、そのあと歩くことをやめてあの少女と一緒に行こうと決めたのだ、と。この世とはそうしたものだ。とはいいながら、最後の同行者をなくした今、皮膚をまた一枚剥がされたような気がする。次に何が起きるか心配だ。これ以上何かを受け入れる余裕はない。”

とてもそんなことをしそうには見えないハロルドが突然、千キロの道を歩き出す、その意外性と全般のテイストは、映画も本も同じでした。

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「ボレロ 永遠の旋律」

2024年08月22日 | 映画

1928年、パリ。作曲家モーリス・ラベルは、著名なダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエの音楽を依頼されるが、スランプに苦しんでいた。試行錯誤の日々を経てついに傑作「ボレロ」を完成させるが、自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲に、彼の人生は侵食されていく…



不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画ということですが、非常に不親切な作品です。
登場人物の立ち位置の説明はまるでなし、突然戦争に従軍したり、母を亡くしたり、時系列もぐっちゃぐちゃ。
晩年、脳に病気を抱えて記憶障害などを起こしたラベルは手術を受けるのですが、術後頭に包帯を巻いたまま、眠ったままで目を覚ますことはない。
最後に、指揮者を囲んでオーケストラが何層もの円を作り、あの「ボレロ」が情感たっぷりに演奏されて、幕は閉じます。



観終わってから調べたら、ラベルの脳の疾患は今も明確にはされておらず(若年性認知症だったのではという説もあるらしい)、脳手術を受けて62歳で亡くなったのだそうです。
彼が5回も落ちたローマ賞というのは、芸術を専攻する学生に対してフランス国家が授与した奨学金付留学制度であり、著名な芸術家を輩出しているらしい。



分かりにくくてイライラもしましたが、同じ旋律を17回繰り返したあの「ボレロ」を産み出すのにいかにラベルが苦心をしたか、そしてあの曲が世に出た時にいかに斬新で喝采を浴びたのかがよくわかりました。
冒頭の、ジャズ風、ラテン風、ロック風、ボサノバ風など、世界中で様々な楽器を使って「ボレロ」が演奏されるシーンが好きでした。
いつまでもいつまでも聴いていたい気になりました。

「ボレロ」公式HP 

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涼を楽しむ、郷さくら美術館

2024年08月20日 | お出かけ

雅叙園を後にして、目黒川の畔にある日本画専門の郷さくら美術館へ。
この美術館の名前は知っていましたが、入るのは初めてでした。
今は「涼―夏を楽しむ―現代日本画」展が開催されていましたが、桜の時期には桜一色になるそうです。



100号以上の大きな絵が多くて、迫力があります。
そして本当に涼し気。
すべて撮影可というのも嬉しい。



日本画というものは、平面的に描き、陰影をつけないというお約束があるのですって。
しかし例えばこの金魚の絵。
これだけ沢山の金魚を同じように描いていて、嫌にならない?ちょっと陰影つけたくならない?と思ってしまう。



桜の絵ばかりの部屋もありました。


この近くでカフェ知らない?と友人に聞かれて、すぐ近くのカフェ・キャラットへ。
私がここに来たのは随分前、まだあったのだと驚きました。
地下に広がる薄暗い空間、古い暖炉や鹿の剥製やアンティークソファがある、なんとも面白い雰囲気です。
一つ間違えば田舎臭い成金主義というところを、シックにまとめてありました。
注文は今風に、QRコードからの仕様となっていましたが。


(こちらはネットから)

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見るなのタブー「和のあかり展」2024

2024年08月19日 | お出かけ

以前は毎年のように行っていた雅叙園、コロナ禍以来久しぶりでした。
百段階段の今年の「和のあかり」展のテーマは、妖美なおとぎばなし。
竹取物語、葛の葉伝説、見るなの花座敷、天女の羽衣などが取り上げられ、猛暑の中のいっときの涼を感じる空間でした。



「葛の葉」伝説は、Wikiによると、摂津国阿倍野の里に伝わる狐と人間の恋の物語。
男が助けた白狐が、葛の葉という名の若く美しい女性となって現れ、二人は結ばれるが、やがて息子に狐であることがバレてしまって森に帰る。



「見るなの花座敷」というのは、山で道に迷った男が大きな家に泊めて貰い、もてなされるままに長居するが、絶対に見てはいけないという奥座敷を覗いた途端、ウグイスの一声と共にすべてがなくなってしまったという話。



どちらも悲しい話なのですが、この「見るなのタブー」をモチーフにした話は、世界中にあるというのが面白い。
私ですら知っているのが、聖書の中のソドムとゴモラが滅ぼされるとき、神から町の方を振り返るなと言われたのに見た人間が、潮の柱になってしまったとか。
ギリシヤ神話の、パンドラの箱を開けてしまった話とか。
日本神話で黄泉の国のイザナミを追いかけたイザナギが、妻の顔を見てしまった話とか。



人間、見ちゃいけないと言われたら、そりゃ見たくなるよね。
雅叙園は「昭和の竜宮城」と言われるように、分かりやすく豪華な美に満ちていると思うのですが、思ったほどインバウンドが多くなかったことに驚きました。
まだ気づかれていないのか、残念なようなホッとするような。
雅叙園の「旬遊紀」、〆の麺類撮り忘れ。

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今年のお盆は読書三昧

2024年08月17日 | 

母の初盆は昨年済ませたし、今月末にまた帰省しなければならないこともあって、今年のお盆はマンションでノンビリしています。
地震は来るわ、台風は来るわでなんとも落ち着きませんが、なんと楽なこと!
最強と言われた台風は、事前に大騒ぎした割には、この辺りはおとなしく通過してれたようだし。
ここ数日間で読んだ本。

「パッキパキ北京」 綿矢りさ
単身赴任中の夫から一緒に暮らそうと請われ、愛犬を抱いて嫌々コロナ過の北京に行く「私」。元銀座ホステス、36歳の現役ギャルは、夫からせしめたブランド品を身に着け、喧騒の北京の街を好奇心丸出しで今日も歩く。
「蹴りたい背中」で世間をアッと言わせた著者が、中国滞在経験とその観察力で書き上げた綿矢ワールド。

「マイストーリー」 林真理子
自費出版専門の出版社の編集者である太田は、人生を本にしたいという様々な人々の依頼に応対する。
芥川賞作家の娘を持つ母は、良妻賢母の顔の下にかつて娘の担当編集者と性的関係を結ぶという過去を持っていた。
死んだ夫の人生を本として残したいという若い未亡人は、知られては困る過去と飽くなき野望を持っていた。
真理子女史の、ここまで言うか?という、女性に対する意地悪目線炸裂の本です。

「がん闘病日記」 森永卓郎
「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」医師からそう告げられたのは、2023年11月8日のことだった。余命4ヶ月の通告。
満身の闘病ドキュメントですが、自分の人生の終わらせ方を何処か醒めた目で見ているようで、余命宣告の様子、抗癌剤の選択、がん保険のことなど、詳細が分かって面白い。
ちなみに、余命宣告から10ヶ月ほどたった最近、8月14日も、著者はまだお元気でいらっしゃるようです。

「板上に咲く」原田マハ
「ワぁ、ゴッホになるッ!」1924年、画家への憧れを胸に裸一貫で青森から上京した棟方志功。
しかし、美術学校にも行けず、画材を買うお金もなく、弱視も酷い彼は、展覧会に出品するも落選し続ける日々。
”もじゃもじゃに波打つ長髪、分厚いレンズの黒縁眼鏡。つんつるてんの紺絣の着物、裸足に下駄履き。腰には縄で魚籠をくくり付け、弓矢のように絵筆が何本も突き刺さっている”そんな棟方が挫折を乗り越えて辿り着いた木版画、どうやってそれで世の中に認められ、「世界の棟方」と言われるまでになったのか?
赤貧の時代から彼を支え続けた妻の目線から書かれた、愛に満ちた本です。

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80年代、あの頃の

2024年08月15日 | 劇、オペラ、コンサート

「ゴーストバスターズ」で80年代に大ヒットしたレイ・パーカー・Jrのライブ@東京ビルボード。
レイ・パーカー御年70歳、髪の毛は僅かに残存。
懐かしいノリノリのディスコ調の曲が主体でしたが、もうお爺ちゃんになったんだと、孫に聞かせるという「くるみ割り人形」などの優しい曲も、アコースティックで聴かせてくれました。
「A woman needs love」を歌いながらステージから降り、前の方にいた観客と握手したり、ハグしたり(しっかりして貰った!)。ライブハウスはこれだから楽しい。
「ゴーズトバスターズ」を観客と共に歌い、アンコール曲は「Its Time To Party Now」。



80年代の前半は私は大学生で怖いもの知らず、世の中はバブルに浮き立っていました。
「Best・Hit・USA」の曲をテープに入れて、ウォークマンで繰り返し聴いていました。
あの頃は見た目は華やかだったかもしれないが、その実私は色々悩んでいて、屈折した時期でもありました。
まあ若い頃なんて、そんなものなのかもしれませんが。
85年にニューヨークに行った時は、向うの人もみんなSonyのウォークマン、そして大きなカセットデッキを持ち歩いていたことに驚いたものです。
映画「ゴーストバスターズ」の中のマシュマロマンが好きだったなあ。



ビルボードライブの後、東京ミッドタウンの中の、北イタリア料理の「KNOCK」
右上は、こちらの定番、マスカルポーネとこんがりレーズンパネ・パンナ。
メインの骨付きラムのローストはぼけてしまいましたが、凄いボリューム!



テラス席から神宮の試合の合間の花火が見えました。

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