Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ロケット・マン」

2019年08月30日 | 映画

グラミー賞を5回受賞した世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの自伝的映画。
監督は「ボヘミアン・ラプソディ」のデクスター・フレッチャー。


1947年、レジー・ドワイトはイギリスの郊外で、厳格で家庭に無関心な父親と
子供に無関心な母親との間に生まれた。
両親に邪険に扱われ、願っても抱きしめて貰えず、孤独を友として成長する。
彼はしかし幼い頃から、一度聴いた曲をすぐにピアノで再現できるという才能を持っており、
同居する祖母にそれを認められ、王立音楽学院に進むことになる。
ミュージシャンを目指す彼はエルトン・ジョンと改名し、曲を作りライブバンドで活躍し、
やがて作詞をするバーニー・トービンと出逢い、二人で美しい歌を作って行く。



あの名曲「ユア・ソング」を作り出すシーンが素晴らしい。
バーニーが書いた詞を読んだ瞬間、エルトンの頭にはメロディが溢れ出て、
譜面に書くにももどかしいほどだったのだそうです。
そして次々に名曲を世に出し、全世界にその名を知られるトップスターとなってゆくのですが、
お決まりのアルコール、ドラッグ中毒、マネージャーの裏切りなどで挫折して行く。



堕ちるところまで堕ちて更生施設に入り、避けていた過去の自分とようやく向き合う。
孤独感やコンプレックスからガチガチに固めていた武装を少しずつ解いて行き、
最後に幼少期の自分を抱きしめるところは感動的です。
最初に画面に現れた時の奇天烈なバードマンの衣装は、彼の最強武装だったのですね。
エルトン・ジョンを演じたタロン・エガートンが実にうまい。
ずんぐりむっくり、若い頃からの薄毛、スキッ歯、お世辞にもカッコイイとはいえない容姿がそっくり。
その歌も素晴らしく(吹き替えなしだそう)、何処を取っても本人にしか見えません。



早い段階でいきなりミュージカル・シーンとなって驚きましたが
その時々の、彼の心象風景をよく表していたと思います。
エンドロールで現在の姿が紹介され、同性のパートナーと結婚して養子を迎え、
幸せに暮らしているということで、救われる思いでした。

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アフガニスタン大使館の午後

2019年08月29日 | お出かけ

麻布台のアフガニスタン大使館に行って来ました。
アフガニスタン独立100周年記念のイベントに、友人から誘われたのです。



広い部屋に8人掛けほどの丸テーブルが幾つか置いてあり、
そこに座ってスクリーンを見ながら、大使館のスタッフの解説を聞きました。
正式名称はアフガニスタン・イスラム共和国。
首都はカーブル、2017年の人口は3553万人。
平均年齢は18歳、平均寿命は63歳。
識字率は38%だが24歳以下の識字率は54%、これは教育に力を入れている成果であり、
それには日本の援助が大きく関わっているのだそうです。



現地で友人の姿が中々見つけられず、マゴマゴしていたら最後の席に座ることに。
その隣の席がもう一つ残っていて、椅子が反対向きに置いてあると思ったら
最後に現れてそこに座ったのは、アフガニスタン大使。
バシール・モハバット特命全権大使その人でした。

アフガニスタンなんて行ったことないし、何も知らない。
何を話そう?と考えた時に思い出したのは、以前観たアフガニスタン映画「君のためなら千回でも」。
私はこの映画にいたく感動して、カーレド・ホッセイニの原作本も読んだのでした。
少年の友情、裏切り、贖罪、そこにアフガニスタンの人種差別や内戦が複雑に絡まる物語。
大使もこの映画と本がお好きだそうで、いやあれは素晴らしい作品でしたねと。
気さくな大使と、その話に花が咲きました(ちなみに大使は日本語ペラペラ)。



アフガニスタンの代表的な料理、鶏肉とジャガイモのトマトソース煮込み、
ナスとヨーグルトの煮込み、アフガン風炊き込みご飯などを頂きました。
デザートはクミン風味のミルクプリン、そしてカルダモン風味の緑茶。
独特のエスニック風の味付けのお料理、どれも美味しく頂きました。
大使館の屋上からは東京タワーが眼の前に。



説明で聞いた限りではおよそ裕福とは思えない国なのに
麻布の一等地にどうしてこのような立派な大使館を構えることができたのか?
とっても不思議でしたが、さすがにそれをお聞きすることはできませんでした。


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喜色満面

2019年08月26日 | 家庭

玄関を出てすぐに忘れ物に気がついて戻ると
タロウが狂ったように飛び付いてくる。

犬を飼うと、毎日の散歩とかトイレの始末とか獣医通いとか、まあ多少の面倒はありますが
この笑顔には変えられません。
まとわりつく愛犬を振り切って帰省。
タロウは夫とお留守番。

今年のイチジクは甘味が少々薄いような。
7月の長雨のせいか。



人が住まないと家は荒れる。
老母が体調を崩して町の家に移って4年目、虫の死骸だらけの無人の実家。
お盆のお勤め、無事すみました。








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「シークレット・スーパースター」

2019年08月22日 | 映画

14歳の少女インシアの夢は、インド最大の音楽賞のステージで歌うこと。
しかし厳格な父親は娘の夢を許さず、歌うこと自体を禁止してしまう。
諦めきれない彼女は、顔を隠して歌った動画をYpuTubeにアップする。
その時の彼女のハンドル・ネームが「シークレット・スーパースター」なのです。
たちまち大評判となり、やがて落ち目の音楽プロデューサー、シャクティの目に留まる。
シャクティは起死回生を図って彼女を売り出そうとするが…

「きっとうまくいく」「PK」「ダンガルきっとつよくなる」などのインド映画界のスター、
アーミル・カーンが製作を務め、出演(シャクティ役)も兼ねたという作品。
歌あり笑いあり涙あり、そして男尊女卑や女の発言権がないといったインドの社会問題への訴えも盛り込み、しかしエンターティメントとして楽しめる仕上がりとなっています。
この場合は社会問題というよりは、DV夫の個人的な問題という気もしますが
しかしインド映画を色々観るにつけ、女性の立場がまだまだ低いという現実が
一部の社会にしろ、根底に横たわっているような気がします。


大金持ちでも極端な貧乏でもなく、ごく普通の団地のような所に住む、
インドの中流家庭の家の中の様子が見られるのも面白い。
クライマックスの大逆転では大きなカタルシスが得られますが
しかし、ここで泣かせよう!というあざとさも感じられてしまいます。
いくら天才といえども練習もしないでいきなりレコーディングができるかとか
14歳の女の子が大舞台でいきなり、あんな堂々としたスピーチができるかとか
ご都合主義もあちこちで。
まあそれがボリウッド映画であると言えるのかもしれません。

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熱帯夜の六本木

2019年08月20日 | お出かけ

昨夜、珍しく夫と映画を観て来ました。
会社帰りの夫と待ち合わせ、六本木ヒルズで「ライオンキング」を。
子供の頃、手塚治虫の「ジャングル大帝」が好きだった私としては思う所あるのですが
ディズニーのアニメにもNYのミュージカルにも感動しているので、やはり無視できない。
という訳で期待しましたが
「超実写版」と宣伝される今回の作品、アニメをCGで実写化しただけじゃないの。
でもあの幕開けに「サークル・オブ・ライフ」が大音量で流れるとそれだけで感動するし、
広大なアフリカの大地のシーンは迫力があり、大画面で観る価値はありました。



終わったのはもう9時過ぎだったので、近くの蒼龍唐玉堂で軽く食事を。
キアヌ・リーブスのサインもあるというここ、なんとも不思議な雰囲気のお店です。
薄暗く、一昔前のNYの阿片窟のイメージか(行ったことありませんけど)。
メニューを見ると、担々麺だけで十種類以上ある。
麺の名前の横に1~4個の唐辛子マークがついており、数が多いほど辛いらしい。
私は白胡麻担々麺(マーク2個)、夫は牛スジ担々麺(3個)を頼みましたが
軟弱な私には十分辛いものでした。



ミッドタウンの公園では今、「光と霧のデジタルアート庭園」が。
”広大な庭園と縁側を霧が包み込み、 庭園内に点在する岩を中心に
花火をイメージした色とりどりの光が放たれる”というイベントなのですが
昨夜は「霧」が出て来ない。
よくよく見ると「湿度が75%以上の場合、霧の演出は安全上一時停止となる場合があります」と書いてある。
ちょっと残念でした。
本来は、こんな感じのが観られる筈でした。


(こちらはネットから)


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ライオンキングごっこ

2019年08月19日 | 家庭
とりあえず何でもやってみる性格です。
今流行りのライオンキングごっこ。
「王様の赤ちゃんがお生まれになった!」と
シンバが披露されるところ。



シンバはライオンなので猫系、釣り目、シリアス顔。
それを真ん丸目の喜色満面の犬でやると…



なんともマヌケで笑えます。


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「天国でまた会おう」

2019年08月18日 | 映画
第一次世界大戦の終結前後、好戦的な上官プラデルの悪事に気がついて
生き埋めにされたアルベール。
彼を地中から救い出したエドゥアールは、顔の下半分を吹き飛ばされてしまう。
パリに戻った二人を待ち受けていたのは、帰還兵に冷たい世間だった。



銀行家の御曹司エドゥアールは、戦死を装い、生還を家族にもひた隠しにする。
小心者のアルベールは仕事も恋人も失い、エドゥアールを見捨てることもできない。
顔の下半分を失くしたアルベールは、食べ物を噛むこともできず、注射器で注入。
痛みをモルヒネで抑えるという地獄のような生活。
声も失った彼はしかし、無垢な孤児の少女と心を通わせ、通訳して貰うことになる。
更にアートの才能に溢れる彼は、次々に奇抜なお面を作り、自分の顔とする。
彼らはかつての上官への復讐と、国を相手に一儲けする大胆な詐欺を企てるのですが…



冒頭、凄惨な戦争シーンで始まります。
社会派の映画かと思って観ていくと、奇抜な仮面がファンタジーの世界へと誘う。
戦場、1920年代のパリの街角、銀行家の豪華な邸宅、そしてきらびやかな仮面と
リアルとファンタジーが入り混じった、摩訶不思議な世界。
気がつくと、魔術のような映像世界にどっぷり引き込まれていました。
そして終章、華麗な仮面をつけたままのエドゥアールが父親に逢い、
驚愕の行動を取ることで、彼が本当に求めていたものが分かるような気がするのです。
異色の反戦映画には、親と子の悲しい軋轢が伏線として入っていたのですね。


(フランス版ポスター)

「その女アレックス」の人気ミステリー作家ピエール・ルメートル氏が原作、脚本。
アルベール・デュポンテルが監督、アルベール役として出演。
フランスのアカデミー賞と称されるセザール賞で監督賞、脚色賞など5冠に輝き、
本国では大ヒットとなったというのも頷ける作品です。
この春に上映され、私は映画好きな友人から聞いて今頃知ったのですが
日本では殆ど話題にもならなかったことが残念です。


天国でまた会おう」 

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「風をつかまえた少年」

2019年08月16日 | 映画

干ばつ、飢餓、貧困にさらされたアフリカの小国マラウイで
少年が廃材から風力発電機を作ることによって村を救った実話を基にした映画。

マラウイという国がそもそも何処にあるのかも知りませんでした。
アフリカの南東部、モザンビークやタンザニアの近くです。
世帯電気普及率2%、主な産業は農業だけという、世界最貧国のひとつ。
そこを2001年、大規模な干ばつが襲い、14歳のウィリアムの村は絶望的な状態になる。



学費を払えなくなったウィリアムは、中学を退学となる。
それでも向学心旺盛な彼は図書館に潜り込み、本で独学して
風車を作り、電気を起こして、干上がった畑に水を引くことを思いつく。
材料、労力などが必要なので必死に父親に訴えるが
未だに祈りで雨を降らそうとする無学な父親は耳を貸さず、息子を殴りつける。



学費未納だが勉強したいと訴える少年を、校長は虫けらのように教室から追い払う。
教育者にあるまじき行為ですが、義務教育でないということはこういうことなのだと
思い知らされます。
みすぼらしい家のなかにあった僅かな穀物を強盗に奪われ、
いよいよ食べ物がなくなって、ウィリアムの愛犬カンバは餓死してしまう。
あのシーンでは泣けました。
しかしウィリアムはあきらめなかった。



水も電気も引かれていない貧しい村の因習、腐敗した「民主政治」、
親を乗り越えようとする息子と、それを認めようとしない親との葛藤などが盛り込まれ、
直球過ぎる嫌いはあるが、後味の良い作品だと思います。
アフリカの荒涼とした大地や、奇妙なお面をつけて舞い踊る儀式の画面、地の底に響く様な民族音楽が
シンプルなストーリーを盛り上げていました。
ウィリアム・カムクワンバはその後、アメリカのダートマス大学に進み、
2013年にはタイム誌の「世界を変える30人」に選出されたといいます。
イギリス・マラウイ合作、原題「The Boy Who Harnessed the Wind 」。


(ウィリアム本人)
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猛暑の銀座散策

2019年08月15日 | お出かけ
銀座のソニービルはなくなって小さな公園になってしまいましたが
ちゅら海水族館は今年も来ていました。
水槽は少々小ぶりになりましたが、大勢の外人観光客が写真を撮っていました。
Shibuya Crossing程ではないにしろ、数寄屋橋交差点の真ん中で自撮りしている人も多い。
相変わらず中国の人が多いようですが、最近では英語でもフランス語でもスペイン語でもない、
聞いたことがないような言葉を話す外国人も増えて来たようです。
なんにしても、日本のスクランブル交差点がこんな有名になる日が来るなんて
夢にも思わなかったな。
ロンドンのオックスフォード・サーカスに、日本を真似たというスクランブル交差点ができていましたが、ずっと小さなものでした。



ポーラ・ミュージアム・アネックスでは「中村弘峰展」が。
伝統的な博多人形に現代のアスリートを掛け合わせたという、楽しい人形たち。



「なぜ人間は人形をつくる必要があるのか?」
人形師の家系の四代目である作者は、子供の頃からそう思っていたのだそうです。
“江戸時代の人形師が現代にタイムスリップしたらどうなるか”という視点から
こうした人形を作っているのですって。 




今年オープンした銀座ロフトでは、こんな催しが。
私はお笑い番組は見ないのでよく分からないのだけど、凄い迫力。
紛れ込んでも分からないかも…。



そのビルの8階の「しゃぶしゃき綾邸」でランチしました。
こちら発酵熟成豚のしゃぶしゃぶの専門店らしいのですが、あまりにも暑かったので海鮮丼を。
量は上品なものでしたが、ウニとイクラがたっぷりの丼に
レモンが効いた青汁とサラダバーもついて満足でした。




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「武士の娘」

2019年08月13日 | 

1873年(明治6年)、越後長岡藩の家老の家に生まれた杉本鉞子(えつこ)は
武士の娘として厳格に育てられ、結婚によりアメリカに住むようになっても
「武士の娘」としての矜持を失うことはなかった。
これは、大正時代に米国の雑誌に英文で連載された彼女の自叙伝です。
連載後の1925年にアメリカで出版されて人気を博し、7ヵ国語に翻訳されたといいます。

武士の娘として育てられたということが具体的にどういうことなのか、
興味を持って読み始めたのですが、中々に面白い。
著者は幼い頃より歴史や文学、仏教、漢籍、生け花や裁縫などを教えられていたが、例えば、その漢籍を教えられている時の様子。
”お稽古の2時間の間、お師匠様は手と唇を動かす外は、身動き一つなさいませんでした。
私もまた、畳の上に正しく座ったまま、微動だも許されなかったものでございます。唯一度、私が体を動かしたことがありました。どうしたわけでしたか、落ち着かなかったものですから、ほんの少し体を傾けて、曲げていた膝を一寸ゆるめたのです。
すると、お師匠様のお顔に微かな驚きの表情が浮かび、やがて静かに本を閉じ、きびしい態度ながらやさしく、「お嬢様、そんな気持ちでは勉強はできません。お部屋に引き取って、お考えになられた方がよいと存じます」とおっしゃいました”

やがて著者は12歳で兄の友人、アメリカで日本骨董の店を営む松雄と婚約。
東京の女学校で4年間英語を学んだ後、渡米してシンシナティのウィルソン家に身を寄せ、やがてその親戚筋の家で、そこの未亡人「アメリカの母上」と共に新婚生活をスタート。
二人の娘に恵まれ、平穏に暮らしていたが、12年後に夫が急死して帰国。
数年間日本で暮らした後、アメリカを懐かしがる娘たちを連れて再び渡米、そこで生活のために書かれたのが本書だった訳です。

アメリカで鉞子が身を寄せたウィルソン家というのは地元の名家であり、
その親戚筋の未亡人という人も、大きな家でメイドや下男を使っている。
なので
”朝食を終わると「母上」は裁縫や編物を、私は新聞を手に、そこに出るのでした。おそばの小さい安楽椅子に陣取って英語の勉強のために私は毎日新聞を読み、解らぬ所々を教えて頂きました”
という、優雅な生活であったようです。
しかし、いかに金持ちであろうと教養があろうと、人が一緒に暮らせば(しかも異国の人と)
様々な摩擦が起こるのではないかと私などは思ってしまうのですが、
鉞子の文章は、この人への感謝の思いに満ち満ちているのです。
「我を捨てる」という教育が染み渡っているので、不満など持たないのかしら?

その時代に日本からアメリカに行けば、さぞかし文化も違って戸惑ったことと思うのですが、鉞子は些かも卑屈になることがない。
アメリカの主婦たちが家計を任されておらず、例えば教会への寄付金も自分の裁量ではままならず、身なりの良い、上流夫人のように見える女性が、夫のポケットからこっそり調達したと言うのを聞いて、なんと浅ましい、恥ずかしいことと胸のうちでこっそり批判しているという具合です。

著者の祖母が語ったというこの言葉が、武士の娘としての教えをすべてを語っているようです。
”「住むところは何処であろうとも、女も男も、武士の生涯には何の変わりもありますまい。
御主に対する忠義と御主を守る勇気だけです。
遠い異国で、祖母のこの言葉を思い出して下され。
旦那様には忠実に、旦那様の為には何ものをも恐れない勇気、これだけで。
さすればお前はいつでも幸福になれましょうぞ」”

この本は英語で書かれた原作を翻訳されたものですが
翻訳者大岩美代の後書きによると、原作者本人と毎週読み合わせをしながら作業を進めたとあり、原作とのニュアンスの違いの心配は不要のようです。

「武士の娘」 

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